今日の反省など

姉となんとなく外に出るための準備をしている。洗濯ものを回し終わったあとで、メイクを終えてのんびりしていたら、姉に終わった?と聞かれる。終わったと見せかけて、終わってない、洗濯ものがあるというと、さっき干してなかった?と姉。さっきね、干したよ、1枚だけ、と言ったらこわい!と言われる。たしかに怖い。1回干し始めたら全部干すべき。のんびりをやめてほかの洗濯ものを干した。  


歯並びがもとに戻ってきたのでマウスピースをはめる。いたい。いたいよお。こんなに戻ってしまったの、わたしの歯。そのまま寝て起きたら、寝惚けたわたしがマウスピースをむりやり引き剥がしてた。起き上がったら上の歯型と下の歯型が枕元に転がってた。正直な無意識のわたし。
ほんとは歯医者さん行かなくちゃいけないんだけど、転院の手続きも行くのもなんかだるくて、放置してる。引き伸ばしてた使い捨てのマウスピースがなくなったら行かなくちゃならないな。ほんとはガタガタでいたいなら、好きなようにさせてあげようか?自分に正直でいたいなら。正直なわたしの歯…。


大きい身体に生まれたかったなあと思うときがある。同じように男の人に生まれたかったなあと思うときがある。それらになればわたしの悩み、全部なくなるかと言えばわからない、たぶん全くそんなことないのだろう。むしろ小さい身体であるために、許されたこともたくさんあるのだろう。でもずっと憧れている。でもほんとうは鯨でもいい。適当だ。わたしはハルちゃんの気持ちがよくわかる。

川の名前が苦手。橋の名前は、まだ理解できる。地図の中でいうと、この位置にあるこの橋のことだから。でも川は難しい。だって利根川だと思ってたのにいつの間にか違う名前になっちゃうし、わたしの知ってる利根川はここらへんで見たのに、全然行ったことないところに来たはずなのに利根川、あるし。理屈では分かってるつもりなんだけど。ちなみに、通りの名前は、もっと苦手だ。


8月はずっとどこに行っても車でどれだけ走れどもサルスベリ、サルスベリ、サルスベリ。ピンクや白や赤や紫のサルスベリ。8月はサルスベリしか咲かんのか?と思うほどにずっと道を彩るのはこの木の花だけ。一番最初の職場を思い出す。夏の暑い時期、サルスベリが見えてくると会社がもうすぐ。


わたしが中学生のときに不思議に思ってたこと。みんな買いたいものによって、特別に好きなコンビニがあること。大人になってから不思議に思ってたこと。映画を教えてもらうと映画の名前のあとに監督の話になること。コンビニどこがいい?という質問がよくわからないけど、大学生になってからは「ローソン」か「ミニストップ」と答えることにした(実はもうそんな歳になるとそんなことを聞いてくる人もいなくなるのだが、用意できたのがこの頃だった)。「ローソン」は好きだという人の数がなぜか多い気がするから。「ミニストップ」は地元から一歩でると、たまにしか出会えないから、それらしい理由っぽくて。でも口に出して言ってたらなんか最近そんな気がして来た。この前友達から懐かしい話題として「天才テレビくん」の「てれび戦士」の現在の写真が送られてきた。わたしも小さい頃見ていたはずだが、その個人のことを全く思い出せなかった。というかてれび戦士を個人として認識した記憶はなかった。「てれび戦士」としてでなく「てれび戦士のだれだれ」とひとりずつ認識して覚えていた友だちのことを不思議に思った。わたしが当時認識していたのは「てれび戦士には女と男が何人かずついる」。たまになんでこんなにぼんやり生きてるんだろうと思う。


1回水族館に行きたいという話をしてから、なんか水族館に行きたい。もうすぐ生活が変わるので、いま時間がある平日にひとりで地元の水族館にでも行こうかなと思ったりした。昔、魚津水族館という水族館に行ったとき、リュウグウノツカイの模型が飾られていて、一緒に写真を撮った。わたしは自分より大きいものが大すきだ。場所がら人に溢れているといった感じでなくて、ゆっくり見れて、好きな感じだった。リュウグウノツカイが出るまでガシャポンをまわした。そのときは水色のワンピースを着ていったことまで覚えている。


消えるときはどんなふうがいいかと考えるときがある。べつに死にたいとかではなく、ただ純粋に、どういなくなるのが美しいかという話だ。海の底に辿り着いてしまって誰にもみつからず、そこに寝そべって眠っているうちに、分解される。それか、だれにも言ってはいけないことをついうっかり口にしてしまって、言ったそばから泡になってぶくぶくぱちんと消えてしまう。このどちらかはいつもいいなと思う。綺麗だと思う。それか、ある日突然、羽をもらい受け、いなくなってしまう。眠りすぎて夢の住人になり、戻ってこなくなってしまう。


たまにお姉ちゃんと広い部屋に住んでいたときのことを思い出す。自由だったし、楽しかった。最初のうち、自分ひとりで自分ひとりをなんとかできると信じていたからだと思う。そういう自分と一緒にいるのは楽しかったし、どこにでも行ってみようと思えた。人間が自由になるにはそれしかない。
ほんとうは人に頼りたくない。やれることを自分でやりたい。普段は必要としてなくて、ほんとうに人に頼りたいときに頼ればいい。皆みたいに。わたしはわたしのことがほんとうに好きなのに、あのときくらいから、自分の良さがあんまり分からない。

でも皆みたいに、はちょっと言いすぎた。反省。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?