週末のこまごま


わたしだって夢見たんだよ。

ふつうのことしか夢みてないんだと思う。


変な夢を見て起きる。朝方トイレに目覚めて起きてから、二度寝したりすると眠りが浅いのか、夢を見る。変な夢のときは微妙な気持ちになるが、夢でもらった気分を払拭するというのがなぜか難しい。

子どもってなんで朝に強いんだろう。
子どもって声の大きさが周りの音の大きさと比例しないから好きだ。絶対今は静かにしなきゃいけないってとこでも自分の気持ちの大きさの声を出す。いつか声を小さくすることを覚えるまでの、朝の静かな時間に聴こえる、子どもの声。まだ8時前の住宅街、外に出てからなのか、起きてからずっとなのか、ご機嫌で、ドアの前で大声を出すので、まだ朝早いからもう少し静かにしてね、とドアの前で諭すとわかった!とまた大きな声をだす。
わたしは朝が苦手、ぱっと起きるのは無理(アラームをほかの人に止めさせるくらい)、のろのろと起きてもずっと寝惚けていて、しゃっきりすることができない。
さらに朝は一番はじめの別れのときだから、さみしくなって、声が小さくなる。おやすみとおかえりは好きなのに、いってらっしゃいは口に出したくもない、ときがある。
ひとつひとつに期待しすぎるからたくさん失望すると恋人に言われる。
わたしは、もしかしたらこの人今日仕事に行かないかもなあ、と思って、時間が来て、毎回、失望する。


目で見てきれいだなあと思うことはあるけど、目以外の感覚の方が強く発達している気がする。わたしの好きだと思うものは、大体目よりも耳で訴えかけてきて、吸うと心地のいいにおいがする。だってなにかを堪能するときは目を閉じるし、日光浴するときだって目を閉じるし、じんわりとした暖かさを感じて、でもたまにうっすら目を開けたときにやさしくも明るい夏の光が目の中に入ってきたりだとか、好みの顔が目の前でこっちを見ていたら気分がいいなあ、ということだ。

花はまあ、別で、じゃあ香りの強いユリが好きなのかと言われたらあのふんわりと部屋中に広がる甘いにおいは好きだけど、すごく好きかと言われたらそうでもないし、一色でなく見た目にかわいいバイカラーのものや、グラデーションカラーの模様とかは特別に感じる。
最近はアスターという花が可愛くて好きだ。でもトルコキキョウみたいなつるりとした触り心地とは違って、茎がケバケバしているからそこはあんまりだ。色は鮮やかだけど、キク科ぽく、なんだか絶妙に古くさくてしおらしい雰囲気を持っていると思う(偏見に満ちあふれている、褒めている)。

桃を切る。桃が好きなんだけど、久しぶりに自分で桃を買ったので、久しぶりに切ったら、全然上手にできなくて、今ひとりでよかったなと思う。よく果物を切るとき、お母さんたちが家族にきれいで、形がよくて美味しいところを人に差し出すのは愛だからっていうのを聞くけど、嘘だと思う。これは見栄だ。好きな人には押されて色が悪くなっているところや、大きいのと小さいのがばらばらに切られた(なんなら切り刻まれたに近い)ことがばれないように、きれいなところしかなかったよと取り繕うために、皆きれいな桃を差し出すんじゃないのか。切り刻まれたのと色が少し変わった桃を食べる。味はあんまりしなかった。でもすごく甘い桃でなくても、桃であれば良かったから、満足した。隠蔽工作をしたきれい(に見せかけた)な桃を冷蔵庫に入れる。もし一緒にいたら、砂糖やなんやらでなんか甘くて美味しくなる魔法みたいなのをかけてくれたかもしれないと思った。でもわたしには思いつかなかったのでそのまま食べた。桃ジャムってあるのかな。


天気のいいこの週末に友人と会う。楽しみ。早く準備する。楽しみ。

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