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①他人に期待しないから、僕に期待しないで【ナンちゃんのはなし】

昔の話をしよう


私には、かつて5年程付き合った人がいた。

その人とは長く一緒に居すぎて(そのうち3年は北陸と関東の遠距離だったのだが)成れの果てまで馴れ合ったような関係になってしまい、いつまでも結婚の話も出ず、だからといって大喧嘩する程の問題ごとも起きなかったので、結局「このままずっとだらだらしちゃうし、別れようかあ」と言って喧嘩するでもなく別れた。

ナンちゃんとは現在一切の連絡をとっていないが、私は彼のことを全く嫌いになっていないし、どうか彼が幸せになりますようになどとえらそうに願ってもいる。

この、別れた彼をナンちゃんと呼ぶことにする(かつてのあだ名に響きが似ているため)。

ナンちゃんとの日々はもう終わってしまったわけだが、思い返せば、その日々の中で彼から学んだことがたくさんある。

ここではせっかくなので、それを書いていけたらなあと思っている。

温和で平和、だけども期待しないで

さて何から書けばいいか、ナンちゃん関連の投稿では、「ナンちゃんから学んだこと」を書きたい。

簡単に彼の性格を表すと、温和で平和主義である。私たちが付き合っていた約5年間、ナンちゃんは一度たりとも私を怒鳴りつけたことがないし、不平不満を言ってきたことがないし、不機嫌な態度で私を無視したこともない。あるのは(恥をさらすが)私が上記のことをしたとき、「ごめんね」と謝るか、小さな声で柔らかな反論をすることくらいだ(そして私の気が落ち着くのをひたすら待っている)。

私はそんな彼のことが大好きだったわけだが、今思えば彼は、私に「期待しすぎない」生き方を声に出さずに提示していたように思う。

行動に示せなかったけど、それは気持ちとは別もの

ナンちゃんは基本的に時間にかなりルーズな人だった。待ち合わせ時間を正確に守れたことはほぼ無く、デートの際には必ずと言っていいほど私を待たせた。遠距離恋愛をしていた時期に起きた、忘れられなかったエピソードがある。

私は大学時代の3年間、遠距離に住むナンちゃんの家まで定期的に、飽きもせず新幹線を使って会いに行っていた。私は自分の家から彼の最寄り駅まで5時間強かかる距離の中、ナンちゃんに会える!という思いだけで全てを時間通りに済ませ(慎重派で、遅刻をしない性格であった)、指定した時間通りに駅に着くと、彼がいない。連絡も取れず、仕方ないから彼のアパートのそばに停まるバスに乗り、インターホンを鳴らしたところ、これまた出ず。結局立ち尽くしていたら、ナンちゃんと同じアパートに住む、ナンちゃんの大学の友人が偶然通りかかり、ナンちゃん出ないの、と話しかけてくれた。事情を話すと、彼はナンちゃん起きろ!と部屋のドアをどんどん叩いてくれ、そうしてやっとガチャリとドアが開き、本人が出てきた。

私はそのぼさぼさ頭の、いかにも「今起きました」といった風のナンちゃんを見て、彼女が何時間もかけて県外から会いに来てるのに、この人は楽しみじゃないのか、と思った。そして、私だったら、最寄り駅はおろか乗り換えて新幹線の通っている駅に行き、それだけでは足りず、改札の中まで入って該当号車が停まる場所で待つのに…なんて思っていた。私はもともとそういう人間であるが、彼にも同じことをしてほしかったのだ。

私を部屋に入れたあと、不満そうな顔をしている私に彼は、「来てくれたことがすごく嬉しい、時間通りに起きられなかったけど、それは楽しみにしていなかったということではないよ」と言った。ナンちゃんは、きっと本当にそう思っていて、この後もずっと、そういう人だった。

大学2年の冬、初めて北陸の雪を経験した


時間を守れないから、他人が守れなくても怒らない

当然だが、「好きなら行動で示せ」タイプの私は、ナンちゃんの言った言葉には全く理解を示せなかった。好きなら、嬉しいなら、早く起きられるはず。だから、時間を守れないナンちゃんは、私が来るのがそんなに楽しみじゃなかったんだ。そんな風に私は拗ね、先述の通り、ナンちゃんはひたすら私の機嫌が直るまで横で待ち続けるのである。文句を言わず。

私はナンちゃんのひたすら受け身な態度がたまに気に食わなかったが、それでも彼のその性格を受け入れられたのは、ナンちゃんのスタンスが一貫していたからなのだと思う。

どういうことかといえば、ナンちゃんは、自分が時間を守れないことを分かっているので、私やほかの人が時間を守れなかったとき、絶対に機嫌を悪くしたりしなかったのである。ごめん少し遅れる、とメッセージを送ったときは、不機嫌そうに返信をしてしまう私(たまに既読無視をしていた、だって一時間以上遅れるんだもの)とは違い、「分かった!」「気を付けて」「ゆっくりでいいよ」のいずれかの返信が来るし、ひとりで時間をつぶすのも得意のようだった(私はひとりだと、何もできない)。

そんなナンちゃんの温厚さに助けられたことが何度もあったし、このナンちゃんの性格は今思えば「他人に期待しない」ことの現れだったのかもしれない。人を何度も待たせてしまうのはよくないかもしれないが、大人になるとイレギュラーに見舞われ、時間通りにいかないことなどよくあるのだなと分かってきた。

大学生時代の、さらに休みの日に散々私を待たせたのは、けしからんと思わなくはないが、あのときの私は少し「行動」と「気持ち」を直結させ過ぎていたかもしれないなと思う。ナンちゃんはたぶん早くから自分を理解していたし、あのときいつまでも私の機嫌が直るのを「待っていた」。むしろ、私がずいぶんたくさん「待たせた」と言えなくもない。
そしてよく待っていてくれたなあ、と思う。

関東はあまり積もらないので驚いた


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