読書感想文(19)越谷オサム『階段途中のビッグノイズ』

はじめに

この作品を初めて読んだのも中学生の頃です。そしてとても好きだったように思います。「ザ・青春」といったイメージがありましたが、実際に読んでみるとやっぱり「ザ・青春」でした。

今回は色々と思うことがあったので長くなってしまいました。こんなものを読むくらいなら、皆さんもぜひ『階段途中のビッグノイズ』を読んでみて下さい。

感想

読んでいる途中、何度も泣きそうになりました。しかし泣きそうになる理由は色々とあって、かなり内面がぐちゃぐちゃになりながら読みました。こんな爽やかな青春小説を読みながら何をやってるんだ、なんて思いましたが、実際そうなってしまったのだから仕方がありません。とりあえず整理してみます。

まず初めに、校長室に乗り込む場面です。物語は軽音部の上級生が麻薬所持によって逮捕されたため、軽音部の廃部が決定する、というところから始まります。主人公の啓人はそれを受け入れますが、軽音部に失望して幽霊部員となっていた伸太郎はそれに反対します。「お前は今まで真面目にやってきたのに、なんでクズの上級生のためにお前が割りを食うんだ?」と。そして校長に直談判しに行きます。その時、懸命に(というかがむしゃらに?)校長に訴える伸太郎の姿を見て、泣きそうになりました。伸太郎は幽霊部員になっていたので、啓人とは親しくありません。それでも、「お前は悪くない」と断言して味方になってくれる所に涙腺が緩んだのだと思います。世の中、とばっちりを食うことはよくあると思います。そしてそういう時、私は大体自分の意見を言うのも面倒になって、黙って受け入れるように思います。心の中では違うのになぁと思いながら、でもわざわざ言うほどのことでもないか、という感じです。まあ廃部といったような大きな事ではなく、些細な事が大半なので比べるのは少し違うかもしれません。ただ自分の正当性を保証してくれることって、こんなに心強いものなのだなぁと思いました。自分の周りの人は決して味方になってくれないわけではありません。ただ周りの人に心を開くことができない自分の方に問題があるのだと思います。人との繋がりに憧れる一方、人との繋がりを拒絶してしまう、そんな矛盾が自分の中にあります。そんな自分の惨めさと対照的に、啓人と伸太郎の関係が温かいものに感じて、「いいなぁ」と思いながら泣きそうになっただと思います。

次に、森淑美という教師の立場です。淑美ちゃんは体育の怖い女教師です。そして捕まった上級生達の担任であり、この事件の後いっそう厳しくなります。初めて読んだ時は、この先生に対してどう思ったか覚えていません。しかし(恐らく)三回目の今回は、既に淑美ちゃんにも苦悩や葛藤があることを知っていました。人として生徒と仲良くなる一方、先生としての立場もあります。そしてこの事件については前者が裏目に出ました。上級生らの煙草を一度見逃したことが彼らを退学に追い込んだのではないか、思えばあの時吸っていたのは煙草ではなく薬だったのではないか、あの時それに気づいていれば別の対応ができたのではないか、そんな後悔から淑美ちゃんは事件後に一層規則に厳しくなります。しかし次にまたそれが裏目に出ます。水泳部の顧問である淑美ちゃんは、「熱中症対策の為に14時まで屋外での部活を禁止する」という規則に従って、14時まで屋内でトレーニングをさせます。しかし生徒たちは「それは野球部やサッカー部みたいなグラウンドでやる運動部の話で、プールにいる水泳部は関係ないはずだ。水泳部が夏に泳がなくていつ泳ぐんだ」と不満を持ちます。しかし規則違反を見逃す事が重大な過ちに繋がる経験をした淑美ちゃんは取り合いません。するとやがて水泳部員達は自分の言うことを聞かずに泳ぎ始めます。一人が泳ぎ始めると、次々と泳ぎ始めて、誰も自分の言うことなど聞きません。「言うことを聞かせる」というのは指導のような意味合いで、しかも無理矢理な印象を持つかもしれません。しかしこの時の淑美ちゃんは言葉通り「言ったことが聞いてもらえない」状態だったのではないかと思います。自分の言葉が生徒達に届かない、無視されているような状態です。さらにその直前の出来事として、淑美ちゃんは軽音部の規則違反を指摘しています。軽音部は存続の条件として顧問がいる所でしか活動をしてはいけないことになっています。しかしその日、休暇期間で顧問がいないにも関わらず、少し話が盛り上がって思わず演奏してしまいます。それを聞きつけた淑美ちゃんは、すぐに演奏をやめさせ、規則違反のため活動自粛を言い渡します。その時、軽音部のメンバーたちは弁解します。「ちょっとうっかりしてただけで…」「べつに悪いことはしてないじゃないですか。音楽をやってただけです」と。しかし規則を破ったことに変わりはありません。結局啓人が「帰ろう。俺たちのミスだ」と受け入れて帰ります。この時の対応は、決して間違いではないはずです。しかしこの時、事実として純粋に音楽を楽しむ彼らから、音楽を奪ってしまいました。それは彼らではなく上級生によって課された規則のために。そしてその直後、淑美ちゃんは水泳部員たちに「裏切られる」ことになります。もはやどうしたらいいのか、彼女にもわからなかっただろうと思います。結局彼女は、校長にこの葛藤を打ち明けます。そして自分の罪悪感を紛らわせるために、関係無い生徒を縛っていたのではないか、ということに気づきます。普通、気づいたところで周りは許してくれません。しかしこの物語は、最後に彼女を救ってくれます。文化祭のステージで、軽音部は大トリを飾ります。しかし途中のトラブルにより、予定していた最後の一曲が制限時間内にできません。そこで啓人は文化祭の担当である淑美ちゃんに向かって言います。「森先生、森先生、いらっしゃいますか」「予定していたけどまだやってない曲っていうのが、一つあるんです。でも、ルールでは1バンド20分までってなってて、もう20分は過ぎちゃってるんですけど……」わざとらしい呼びかけに、会場からも声が上がります。「森ー!」「森せんせー」そしてやがて「淑美ちゃーん」という声から「淑美」コールにまで発展します。「よっしーみ!よっしーみ!よっしーみっ!」そして淑美ちゃんを壇上に引っ張っていくのは校長先生。どうすればいいのかわからない淑美ちゃんに、あの日真っ先に反抗した水泳部員が叫びます。「先生、紙!紙!おねがいします!」それは事前にその水泳部員から渡されていた二枚の紙のことです。一枚には「おしまい!」、そしてもう一枚には「もう一曲!」の文字。淑美ちゃんはそのうちの一枚を足元に捨て、もう一枚を頭上に高々と掲げます。そして会場から大歓声が上がり、最後の一曲が始まります(ここで不覚にも涙が流れてしまいました。電車の中だったから我慢していたのに。今は自分の部屋なので思い出して思う存分泣きながら書いています)。この先生の葛藤に、生徒たちは気づいていました。初めの頃は「薬」の軽音部を疎んでいたその他大勢の生徒たちも、彼らの演奏を聞くうちに応援するようになります。その一方、軽音部と対立していた淑美ちゃんは自然と疎まれるようになります。水泳部員にも裏切られ、何が正しいのかわからなくなってしまった淑美ちゃんを、軽音部も、水泳部も、見捨てませんでした。最後の最後に、「こっちにおいでよ」と仲間に引き入れます。ああ、いいなぁと思いました。対立していたからといって見捨てず、もう敵ではない人が困っている、苦しんでいるからただ助ける。こんなに綺麗な人間関係って現実にあるんでしょうか。私はまだ、見たことがありません。中学高校の頃(恐らく小学校の頃も)、生徒達に嫌われる先生はいました。その原因は様々で、容姿であったり、性格であったり、授業が退屈だったり、説明がわかりにくかったり、課題が多かったり。そしてクラスメイト達は嫌いな先生の授業を真面目に受けません。そしてまた説明がわからない、つまらない、という悪循環。正直、この点に関して私はクラスメイト達と心を一つにすることはできませんでした。それによって人間関係が悪化するまではなくとも、程々の距離を保つことになった、というのはあるような気がします。先生の愚痴を言うのに、共感してくれない友達って仲良くなれないような気がしますし、当然の結果かもしれません。そしてそんな風になったのは、きっとこの本を読んでいたことも大きいのではないかと思います。先生だからといって、常に正しいわけではない。先生だって、迷うし苦労する。そして生徒のことを考えている(と信じたい)。説明が下手な先生だって、下手にやりたいわけじゃない。そんな当たり前のことに気づかないのは、先生を人間ではなく「先生」として見てしまっているからなのかな、なんて思います。そういえば最近、インターネットにおける誹謗中傷がよく問題になります。その種類は様々ですが、「政治家」に対する誹謗中傷はこれに近いものを感じます。まあ「先生」も「政治家」も、淑美ちゃんのような普通に良い人とは限らないので、現実は難しいです。ちなみに自分自身について内省してみると、私は一度敵対した人を味方にしようとは多分思いません。そもそも嫌になったら自分からそっと離れていくので敵対関係は表出しません。仮に絶対に相手が間違っているとしても多分「勝手にすれば?」と内心思うだけで何も言わないと思います。自分に不都合が生じる場合だけ、釘を刺すような気分で対立するような気がします。ああ、こんな事やってるからダメなんだな、と書きながら思いました。思えば中学の時も(以下略)。自分で言うのもなんですが、器が小ちゃいなぁと思いました。でもそれを変えるための内省です。いつかこの高校生達のような広く純粋な心を持つことができたら、味方に入れてくれる人がいるといいなぁと思います。

だいぶ長くなってしまっていますが、まだあります。この物語では厳しい人が三人出てきます。一人は淑美ちゃん。二人目は吹奏楽部の顧問の先生。彼の指導による楽しくない音楽に耐えかねた一人が、吹奏楽部を辞めて軽音部のドラムになります。この吹奏楽部の顧問は結局最後まで変わりません。実際、こういう厳しい顧問は吹奏楽部に限らずいるのだと思います。そして結果が出ることもあるだろうし、その厳しい指導を有り難い、有り難かったと思う生徒も多くいるのだと思います。そういう一つの在り方として、彼は存在するのだと思います。私もイライラして怒鳴る先生は嫌いでしたが、厳しい先生は割と好きでした(あ、吹奏楽部の顧問はどちらかというと前者かも、まあいいか)。そして三人目は、軽音部のリードギターである勇作です。彼は軽音部の中でもずば抜けて音楽が上手く、みんなの指導役も兼ねています。そして演奏中何かあると「ダメダメダメダメ!」と言って演奏を止めます。ある夏の日、暑い(熱い)練習場所でまた「ダメダメダメダメ!」と言って練習が止まります。それは暑さのせいもあってか、いつもより尖った声で。そしてそれがきっかけで、ドラムの徹と口論になります。その後少し落ち着いて、一応仲直りした後、徹は勇作を吹奏楽部の練習場所に連れて行きます。外の格子窓から覗きながら「あれが長谷川さん」と徹は好きな人を紹介します。すると吹奏楽部の顧問の声が聞こえてきます。「全日本までの二カ月間、楽しもうなんていっさい思うな!これは戦いだからな。楽しく音楽やりたきゃ、合唱部でも軽音でも、好きな所に行け!」これを聞いた勇作は「やっな奴だね。『音楽を楽しむな』なんて、なに考えてんだろ」と言います。すると徹は静かに答えます。「きっと、あいつはあいつで一生懸命なんだよ。本気でやってるんだよ」ここで勇作は内心「ああ、そうか」と気づきます。自分はこの人と同じだ、と。自分の理想形があって、それについてこられない周りに焦って、苛立つ。それが周りとの軋轢を生む。元々勇作は軽音部に入っていませんでしたが、それは中学時代の苦い思い出があったからです。それでも、やっぱり音楽がやりたくて、また楽しみたくて、軽音部に入りました。それなのにまた同じことを繰り返そうとしている。勇作は「わかったよ」と言い、徹は「何が?」と返します。
自分はこういう過ちをしていないかな、と時々心配になります。元々それほどストイックな方でもないのですが、大学に入って何かを主導する立場になると時々気になります。でも、それを誰かが毎回教えてくれるほど現実は甘くありません。多分、嫌われて終わります。そう思うと、自分の間違いを指摘してくれる存在の有り難さが身にしみます。現実は一回の失敗が致命傷になりかねません。特に社会人になると、その傾向が強いように思います。それを許してくれるような社会になればいいなと思いつつ、まずは自分が許すことを忘れないようにしたいと思っています。
また徹の「長谷川さんを紹介する」という口実、「何が?」というすっとぼけ。こういう気遣いっていいなぁと思います。私は鈍いのでこういう気遣いを多分色々と見逃してしまっているのですが、こういうやり方は結構好きです。稀に波長が合う人は暗示で裏の会話が成立するのですが、まあ滅多にありません。そもそも裏の会話をするのは表に出せない場合なので状況が特殊です。楽しいですけど。まあそれはともかく、相手を責めずに気づかせるというのは優しさの技術であり、良いものだなぁと思います。この場面で泣きそうになったのは、多分この優しさに泣きそうになったのだと思います。

他にも色々と泣きそうだった場面はあるのですが、大雑把にまとめると「仲間」なのかなぁと思いました。「仲間」を見ると、いいなぁと思いながら、どこかで現実に失望してしまいます。孤独だから失望してしまうのか、失望してしまうから孤独なのかはわかりません。ただその辺りを整理しないといけないような気はしています。整理しようと思ったところで、また「なんのために?」なんて思ってしまうのですが、うーん、どうしたものか。まあ必要が生じれば自分がなんとかしてくれることを信じて、今はなりゆきに任せて生きる他ありません。

さて、終わりっぽい雰囲気ですが、まだ書きたいことがあります。書き残したくはないので、最後にザーッと書いてしまいます。

まず「恋に落ちる瞬間」について。前回の読書感想文でも書きましたが、「恋に落ちる瞬間」というのは見ていて気持ちが良いです。それはまだ啓人が一年生の頃、麻薬を吸っている上級生は「アンプを使っていいのは誰かが屋上に登ってきた時だけ」と命じていました。しかしある日、ギターの金属音をちまちまと鳴らしていると、一人の少女が階段の下からこちらを見ています。「何か始まるのかな」という期待するような瞳。啓人は思わずギターをアンプに繋ぎ、得意な曲のサビを弾いて見せます。演奏が終わると、少女は小さな拍手をして走り去っていきます。ここで「好きだー!」なんて事には当然ならないのですが、こんな他愛もないことがきっかけでその人を気になってしまうというのはあるだろうなぁと思います。

またこの恋、実ったような実らないような微妙なところで物語は終わります。付き合ってはないけど、これから付き合いそうな、もどかしい関係。啓人は内心「付き合っているに近い状態」なんて言っているけど、ちゃんと言葉で伝えなきゃダメだぞ!と先輩に言いたい。前回読んだ『空色メモリ』もそうですが、これから始まる恋に期待をさせて終わるというのはとても爽やかな読了感です。

ドラムの徹は長谷川さんが好きです。吹奏楽部を辞めてすぐに一度告白するものの「いい加減な人はちょっと……」と振られます。別にいい加減なわけじゃないんだ!と思い、そのイメージを払拭するためにドラムに打ち込みます。こんなふうに恋が原動力になるのってとてもいいなぁと思います。最近、「オシャレは自分のためにするもの」というのをよく見ます。私はオシャレに無頓着なので、そうなのかーと思います。これは多分、恋人や周りから自分の好みでない意見を押し付けられた所から出た意見じゃないかと思います。自分の好きなものは好きでいていい、という。全くその通りだと思います。でもだからそれが全てというわけではないと思います。自分の好きなオシャレを貫くのも素敵だと思う一方、好きな人にオシャレだと思われたいと思うのって素敵だなとも思います。つまり何が言いたいかというと、恋の力ってすごいということです。

また別の話、今度は淑美ちゃんに真っ先に反抗した水泳部員、亜季の話です。亜季はなかなか行動力がある人物で、そこがまた魅力です。その中で一つ面白かったのが、屋上の鍵のスペアキーを勝手に作っていたことです。軽音部員たちが「なんで持ってるの?」と至極当然の疑問を尋ねると「屋上に出てみたかったから」と当たり前のような顔で答えます。曰く、「屋上に出てみたい」→「でもロックが掛かってる」→「鍵を見つけた」ってなったら、やっぱり「合鍵作っちゃえー」ってことになるでしょ?とのことです。もしも学校にバレたら大問題になりそうですが、そんなことを事もなげにやってのける行動力には憧れます。こういうのを見るたびに、自分ももっと悪いことをしておけばよかったなぁなんて思います(勿論他人に迷惑をかけない範囲で)。反省文なんていくらでも書いてやったのに。そんな事を考えていると、一つだけ思い出しました。高校生の頃(多分2年)、学校を抜け出してみんなでラーメンを食べに行きました。普段の昼休みでは絶対に間に合わないので、多分何かの行事の日で、マラソン大会だったかなぁと思います。ともかく外出は許されていないけれど、先生の監視が緩んでいた日です。自転車通学の友人と二人乗りをして、10人弱でラーメンを食べに行きました。なんだかしょぼいけれど、バレていたら反省文だったなぁと思います。あれ、そういえば小学生の時も休み時間に抜け出して近くの公園に行ったことがあったと思います。生徒というのは学校という牢獄から抜け出したがるものなのかもしれません。

最後に、勇作の話です。勇作は先に述べた通り、「ダメダメダメダメ!」と演奏を止めてしまうような人でした。でも彼もまた一生懸命で、ギターがずば抜けて上手いことからもわかるように音楽への熱意は人一倍です。休憩時間も基礎練習を怠りません。そんな勇作に、同じギターの啓人は尋ねます。「なんでそんなに基本的な練習ばっかりやってるの?」それに対する答えは単純で、純粋で、「上手くなりたいから」と。この小説は、啓人や伸太郎のように下手な人でも楽しくやれる、間違った人がやり直せる、そんな弱者への優しさを教えてくれます。しかし一方、強者の強者たる地道な努力を教えてくれます。まあ努力というと綺麗事なんですけれど、それでも努力以外に上達の道は無いだろうと私は思っています。最近自分は努力しているでしょうか。少なくとも今日はサボっています。すると当然、今日努力した人に比べて成長していません。そしてそういった差は積み重なっていきます。努力しないよりは努力する方が良い、というのはメンタルを無視すればある程度言えると思います。やらなかった後悔は改善策の為の材料に過ぎません。そう言い聞かせてやるしかありません。もはや何を書いているのかわかりませんが、いつか努力が報われたらいいなぁと思います。

あと書き忘れた事を一つだけ。この作品のおかげで少し、中学の頃に洋楽を聞きました。こうやって別の世界に繋がるのはやはり小説の良いところだと思います。また久しぶりに聞いてみようと思いました。

おわりに

長々と、ぐだぐたと書いてしまいました。もし最後まで読んでくれた人がいたらありがとうございます。そしてお疲れ様です。

この作品も思った以上に自分に影響を与えているようでした。次も越谷オサムの作品を読むつもりです。

ロックンロール!

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