読書感想文(31)さくらももこ『まる子だった』

はじめに

これを読もうと思ったきっかけは、同著者のエッセイ『たいのおかしら』が面白かったからです。面白かったからというか、この感性にもっと触れたいなと思ったからです。さくらももこのエッセイをもっと読めば、何か自分の内面に良い変化が起こる、そんな気がして読むことを決めました。『たいのおかしら』をバイト帰りの電車で読み終えたその日に本屋に立ち寄り、この本と『あのころ』を買いました。一応順番があったようなのですが、第一弾と第二弾がちょうどなかったので、まあいいかと思って直感で二冊選びました。多分そのうち他のも読みます。

尚、今回読んだのは恐らく初出ではありません。2005年に出たと思われる集英社文庫の『まる子だった』です。

感想

まず一番印象に残ったのは、「巻末お楽しみ対談 糸井重里+さくらももこ」です。本編ではありません。なんとなく作者に申し訳ない気持ちがありますが、一番印象に残ってしまったので仕方ありません。別に本編が良くなかったのではなく、このおまけがちょっとクリティカルヒットしてしまったのです。
特にクリティカルヒットしたのは10年毎の節目の誕生日の話です。さくらももこさんは糸井さんの影響で三十歳の誕生日をすごく大事にしたそうです。「その後の十年は、その誕生日にすごく象徴される十年になってる」とのことです。この話を読んで、ああいいなぁと思いました。私は大体将来のことを考える時に十年単位で考えますが、こんな風に節目としても使えるんだなというのが新しい発見でした。そしてその十年毎の節目を積み重ねていくと、例えば七十歳になった時、濃い思い出が残っているんじゃないかなぁと思いました。私は二十歳の誕生日をどのように過ごしたか全く覚えていません。でも幸運な事に、当日ではなくともその近辺で良い思い出があります。大学の先輩が成人祝いをしてくれたからです。スマホに写真が残っていたので日付も確認できますし、待ち合わせから始めて何をしたのかも解散してからのことも詳しく思い出すことができます。多分その年で一番素敵な一日でした。

画像1

この日はアフタヌーンティーから始まりました。私はアフタヌーンティーというものをこの時初めて経験したのですが、その幸福はこの上ないほどのものでした。食べながら何度も「幸せですね」と言い合ったのを覚えています。そういえばこの日先輩がしていたマニキュアが素敵だなと思ったのも思い出しました。私は外見に対する意識が薄いので、オシャレというものがよくわかりません。勿論、マニキュアの良さなんて全然わかりません。でもその日初めてマニキュアが素敵だなと思ったので印象に残っています。深い藍色に銀の点々が散らばっていて、まるで宇宙のようだと思いました。「素敵ですね」と言うタイミングが掴めずに、結局言えなかったことも覚えています。この方には今年に入ってから一度も会っていません。最近よく「会いたいなー」と思うのですが、Twitterで呟くと本人に見られてしまうのでそれもできず、会いたい気持ちが募る一方です。でもこんなご時世なのでもう今年は会えないかなぁと思います。こうやって人は別れていくのだなぁとしみじみ思います。

もはや何の話かわからなくなっていますが、つまりこういうことです。節目の誕生日って、確かに大事かもしれない、と。私の二十歳の場合は誕生日ではなく成人祝いでしたが、こんなに印象深く思い出に残っています。これを積み重ねていけたら、振り返った時に素敵なんじゃないかな、と思うわけです。私は欲張りなので、五年刻みでもいいかなぁと思ったりもします。あともう一つ、こっちの方が元の話のメインなのですが、節目の誕生日がその後十年の象徴となる、ということです。私は元々甘いものが好きで色々なところに行っていましたが、アフタヌーンティーは確かにそれから時々行くようになりました。2020年になってから既に3回行っています。ということは、多分私は三十歳になるまでアフタヌーンティーの十年間を過ごすことになるのでしょう。既にいくつか行ってみたいお店を見つけているので、折を見てまた行きたいと思っています。

さて、ほとんど思い出話になってしまいましたが本編の感想も書こうと思います。本編で一番印象に残ったのは「七夕祭り」です。特に印象に残ったのが次の部分です。

大人になった今のほうが、子供の頃より面白い事がいっぱいあると思う。だが子供の頃のように、「ああ〜〜〜楽しみだ。もう楽しみで楽しみでたまらないからダッシュで走っちゃえ」なんて事にはならない。子供の頃はダッシュで走る事がよくあった。全力で走らずにはいられないあのわくわくエネルギーがなつかしい。

大学生になってからよく思う事がそのまま書いてありました。でもまだ私の中では完全にこの炎は消え去っていないので、なんとかしてわくわくエネルギーを活性化させようとしています。私はお祭りの日にわくわくエネルギーが暴走することは無かった気がしますが、絶叫系がある遊園地などではかなり走り回る方でした。大学生になってからは一度もそのような遊園地に行っていないと思いますが、もしも行ったら走り回らずにいられるのか、ちょっと心配です。
このエネルギーが無くなることは、悪いことではないのかもしれません。でも大人になりきれない私は、必死に抵抗してわくわくしようとしています。

今回、さくらももこのエッセイ二冊目でした。今のところの全体としての感想は、よくわからない不思議な感じです。なんというか、面白いのだけれど、日常的でほんわかしているというか、スーッと日常の中に溶け込んでくるというか……。なんだろう、他人が楽しそうにしているのを見ていて楽しい気分になってくるのと似ているような気がします。あとこれは例のおまけからの発想ですが、「これでいいのだ」という考えがもっとわかりやすく捉えるためのキーのような気がしています。エッセイを読むのは楽しいけれど、この感性をまだ自分のものにできていない感じがします。まあ読書は成長のためというよりも娯楽のためだと思っているので別にいいのですが、でもやっぱりもっとこの感性、世界に触れたいのでまだまだ読みたいと思います。三冊目は既に買っているので、明日から早速読もうと思っています。

おわりに

「おわりに」に書くようなことを上で書いてしまいました。せっかくなのでちょっと余談を。この本を読み終えて、ふとサークルの後輩の感性に似ているような気がしました。それで「読んでみてよ」と言ってみたら「小学生の時に全部読んだ」と言われました。なんということでしょう、だから似ていると思ったのかな、と思いました。こんな話も書き残しておけば、いつか読み返した時に懐かしいかなぁと思ったので書いておきます。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?