読書感想文(17)越谷オサム『金曜のバカ』(2)

この町

この作品は実は全く覚えていませんでした。どんな話だったかなぁとワクワクしながら読むと、すぐにぼんやりと思い出しました。「あ、これ主人公がかわいそうなやつだ」と。

「この町」は高松で、主人公の男子高校生は東京に憧れを持っています。彼女と夜行バスで東京旅行に行く計画を立て、親にバレないようそんなに親しくないクラスメイトに口裏を合わせてもらい、なんだか高校生ってやっぱりまだまだ子供なんだな、と大学生は思いました。そして社会人になったら大学生はまだまだ子どもなんだな、と思うようになるのでしょうか。

この主人公はことあるごとに東京への憧れを語り、地元に就職した先生や東京に憧れの無いクラスメイトたちを哀れみ、内心笑っています。しかし後に自分のことを「すっげーバカ」と自嘲します。東京に行くことによって何か誇らしい気持ちになっていることや周りに知らないことがたくさんあることを知り、自分の小ささに気づいたのでしょう。私も自分の小ささを哀れむことがよくありますが、もしかしたらこの作品のおかげでしょうか。先生は東京への憧れを語る主人公にこんなことを言います。

生まれ育った土地に居場所があるのって、けっこう素敵なことやと思うよ

そして終わりの方に、主人公は先生の言葉を回想した後、口裏合わせのクラスメイトと次のようなやりとりをします。

「林はさ」
『ん?』
「たとえば十年後も、山本とか渡辺と一緒にメシ食ったり遊んだりしとんかな」
『十年後?さあ。三人ともこの町に残っとるとはかぎらんし、そんな先のことはわからんわ。やけど____ 』と林は続けた。『年に一回か二回しか会えん関係になったとしても、気が合う友達でおることに変わりはないんやないん?』
「ああ、そうなんやろうな」
こいつにはもう、居場所があるみたいだ。

十年後、というのは実は私もよく使います。ただし、友人関係ではなく日々の積み重ねの意味で、例えば一週間に一冊本を読んだら十年後には五百冊以上になるとか、そういう感じです。もしかしたらこれもこの作品の影響なのかもしれません。今回この作品を読み直して、友人関係について少し考えてみました。すると中学時代の友人とはもう十年目の付き合いになるんだなということに気がつきました。私は中高一貫であり、仲の良いグループは未だに月1回くらいは遊ぶ(最近はビデオ通話で飲み会など)ので、懐かしいという感じはそれほどありません。ただ十年一緒にいただけあって、お互いのことをそれなりに分かっているので居心地はとても良いです。気が合うのかと言われるとそうでない部分も多いように思うのですが、不思議なものです。大学で初めて会った人も、長い人はもう四年目の付き合いになります。そう思うと、なるほどもう四年目だもんなぁと思ったりします。私は中学から私立に通い、それ以来小学生時代の友人とはほとんど関わりがなかったので、町に居場所はないかもしれません。でもなんだかんだで中高のコミュニティ、或いは大学でも、居場所ってあるのかもしれないなと思いました。この「十年後」については色々と思うところがあったので、後日noteに書いてみようと思います。


僕の愉しみ 彼女のたしなみ

これは甘酸っぱい青春の恋愛の物語です。まず主人公がクラスメイトと映画デートをし、その帰りの場面から始まります。そして、次は電車の広告にあった恐竜博に誘います。

こういう青春っぽい作品を読む時、いつも「いいなぁ」という憧れと共に、「現実はこんな上手くいかないよなぁ」なんて思っていました。今読み返してみると「いいなぁ」という憧れと共に、「現実はこんなに上手くいかなかったなぁ」なんて思いました。やはり、フィクションは幻想です。

さて、この作品は特に「いいなぁ」という憧れが強いです。主人公は恐竜オタクなのですが、それを隠して恐竜博デートをします。しかし後にそれを打ち明け、改めて解説しながら進んでいきます。その時の女の子の反応が主人公にとっては新鮮で、やっぱり色んな視点があって面白かったりするよなぁと思います。また主人公は当たり前のように専門知識を使って説明しそうになりますが、ぐっと堪えて素人にわかりやすいように、面白いように噛み砕いて説明します。そういう配慮ができるのっていいなぁと思います。

主人公はオタクゆえ、些細なことも気になってしまいます。例えばプテラノドンは恐竜じゃない、とか。こういうのって何か好きなことがある人にはあるあるなんじゃないかなぁと思います。勘違いされて情報が伝わってもいいのかというと、それはまあ正確な情報が伝わる方がいいと思います。ただいちいち細かく書いていてはキリが無く、見る方も興醒めしてしまいます。それをどう展示するか、というのは博物館等にとって重要なことだなぁと思います。ただ実物を見るということにも確かに意味はあると思うのですが、せっかくならより多く、正確に、そして楽しく見てもらうのがいいんじゃないかと思います。例えば主人公はこの恐竜はここから見ると迫力があってカッコいい、などと説明します。そういうのを展示する側も配慮するとより面白くなるんだろうなぁと思います。私は文学を専攻していますが、文学がにも博物館資料で面白いものがたくさんあります。しかしそれほど詳しくない人にとってはよくわからないままのものも多くあるような気がします。そういうのをもっと、上手く展示する方法がないかなぁなんてよく思います。


ゴンとナナ

ゴンとナナは犬と人です。これまた不思議な物語で、前半に人間視点、後半に犬視点で同じ出来事が描かれます。犬視点の物語というのは他にパッと思いつきません。読んだことはないのですが、『吾輩は猫である』は似たような感じなのでしょうか。ただこの作品は人間視点と犬視点から描かれるので、それが対照的で面白いです。

また人間視点犬視点というだけでなく、若い視点と老いた視点でもあります。主人公はまだ女子高校生、犬はもう年老いた12歳です。主人公は飼い主として犬を慈しむ一方、犬は年老いた存在として主人公を慈しむような感じです。地の文は一人称視点なので、それぞれの思考がそれぞれの立場で噛み合ったり噛み合わなかったりするのも面白いです。

若い視点と老いた視点と書きましたが、私はまだまだ若い方だなぁと思いました。というのも、前半主人公と一緒にすっかり騙されて(?)しまい、あとから犬視点を読んで「だまされたー」となりました。荻野くんという後輩は主人公に想いを寄せていて、主人公に部活に戻ってきてほしいと言います。その時、「先輩がいないとやる気出ないよ」なんて台詞を言いますが、不覚にもちょっとテンションが上がりました。しかしその後、キミちゃんという荻野くんに想いを寄せている後輩の登場で、荻野くんはあっさりキミちゃんに惹かれてしまいます。ああ青春だなぁなんて思いながら読んでいました。しかし犬視点によると、荻野くんは所詮盛りの男子で、キミちゃんは弱いフリをできる計算的な(?)女性である、と。なるほど、確かにそう言われてみるとそうかもしれません。つまり私はまんまと二人に騙されてしまったと。すなわち、荻野くんの情熱的な台詞やキミちゃんの切実な想いは、表面的な、というより目的の為に計算された或いは本質を伴っていない行動だったということでしょう。まあ荻野くんがキミちゃんの方にコロッと落ちたのは、流石に「結局そんなもんか」と思いましたが、キミちゃんに関しては全然気づきませんでした。現実ではもっと怖いこともたくさんあるのかもしれません。しかし小説ですら見抜けない私はきっと悪い人に騙されてしまうでしょう。人の何を信じていいのか、何を信じてはいけないのか。私にはその判断力が全然無いということに気づかされました。

おわりに

この5作はどれも面白く、すぐに読み終わりました。小説はやっぱり読みやすいです。一つ恐ろしいことは、ほとんどの主人公が年下であることです。時の流れを感じざるを得ませんでした。その反面、まだまだ若いなぁと思うこともしばしばありました。中学生や高校生って子どもと大人の間の悩める存在の象徴として描かれることがよくあるように思います(確か重松清『その日の前に』などにもあったような気がします)。でも実際大学生になってみると、大学生も似たようなものです。そして多分、社会人になっても似たようなものなんじゃないかなと思いました。社会人になっても、例えば新入社員としての悩みもあるでしょうし、中間管理職に上がった時にはまた別の悩みが生じるでしょう。仕事じゃなくても例えば子供を持つと接し方に悩むこともあると思います。人間、そうやって悩んで、成長していくんじゃないでしょうか。ただ中高生は人生経験が少ない分、その経験や悩みの絶対数が少ないので、一つ一つの割合も大きく感じるのかもしれません。一つ思ったのは、こういう子どもの視点を忘れたくないなということです。思ったというより、思い出したというべきかもしれません。子どもの気持ちがわかる大人になりたいというのは小学生の頃から思っていたことです。大人(年上)にとっては小さな事でも、人生経験が少ない子どもにとっては大きな事というのはよくあるように思います。その視点を忘れないように、時々こうやって青春小説も読み返したいなと思います。

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