環境の移り変わり

年末に、とある知人からの連絡があり。

ということで、1ヶ月ほど悩んで答えを出し、その人に依頼された保育園の副園長をやってみたいと思います。

ここまでたどり着くのに、色々な心境の変化が在りましたので、ダラダラと書き綴っていきたいと思います。

まず、専門学校の教員を辞めてデイサービスを開設したこと。この段階では、教育機関の中にソーシャルワーカーがいて支援しようというのに難しさを感じていたということ。今でも忘れられない。教員時代に上司から「君はソーシャルワーカーじゃないんだからそんなことをしなくていい」と。これで教員として雇われるのも長くはないな、と感じた。業務上ソーシャルワーカーとして働いてはいないが、福祉の専門職を持ってる身としてその視点を無視することはできない。生き様を否定されてしまった。

というわけで、高等教育機関での福祉に限界を感じたので、自分で福祉施設をつくろうということでデイサービス創設。知人からデイサービスを作りたいとの要望もあったので、お手伝いがてら。ここでは保育と福祉の乖離を感じてしまった。私からすれば、保育は福祉の一環であるのは間違いないのであるが、どうにも保育は教育と養護が一体になっている。その教育的視点が強い人が多く、それは障害児に対しても発揮されるようで。私自身は保育士でありますが、福祉の中でも心理支援の方によっているので、できないことをできるようにする教育は苦手です。どちらかというと、できないことで生じる感情を共感したい。

というわけで、そこでも代表、副代表と大きな軋轢が生じてしまいました。というより、私は本当に、なにかに所属するのが苦手なのだと強く感じてしまいました。そこでメンタルダウン。

まずは精神状況を整えなくてはいけない。何よりも、お金よりも生活よりもメンタルだと。というわけで、新し目の法人にバイトとして入職しました。そこでの環境はとても良く、やっぱり福祉をしっかり考えている法人は私みたいな変人の言葉も受け止めてくれるのだな、と実感。私生活でのしがらみもここでほどけ、多少の財産を犠牲にかなり健康的になったと。断薬もここで終了。

と、同時に冒頭のところに戻るわけです。今の法人で福祉をやっててもいいんだけど、実はこども家庭ソーシャルワーカーの受験資格に教育機関が入っているので、その専門学校での経験で受験資格があることも知り、10年ぶりに保育の現場に管理職として戻ることに決めました。家からも近いので通いやすいですし、専門学校の非常勤講師の仕事は少しずつ減っていくので、しっかりとした収入も担保したかった。本当はフリーランスとしていろんなこと考えてたけど、考えるのに疲れたときにこの話が来たので。

というところです。

ただ、フリーランスソーシャルワーカーは継続して行います。令和7年度にはNPO法人の立ち上げも目論んでいます。絶対的に、制度の狭間にいる人の支援は必要。私がここで指す制度の狭間の人は、手帳をもらえない程度の精神、知的障害の方と、児童養護施設などから卒業した人たち。その人達の「交流の場」と「生活の場」が作りたい。できれば同一施設内で開放リビングと住まいが一緒になってると良い。

そんな最近を過ごしていました。とても晴れていて気持ちが良いです。

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