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Vtuberに寄生している

4月上旬 自宅待機になった

 結婚式場の動画編集者として働いている私は、コロナの影響で仕事が無くなった。正確には自宅待機となり、給料は満額支払われるとのことだった。給料はあるが仕事が無い。前々からやりたかったYouTubeへの動画投稿を始めてみた。

まったく伸びない

YouTubeに投稿した動画は再生数がまったく伸びなかった。Vtuberの生放送の雑な切り抜きが数万再生されているのに、私の動画が数十回しか再生されない。おかしい。

スキルは自分の方があるはずなのに

自分の動画の方が絶対に面白いのに

再生されないことでやる気を失い、一週間動画投稿を止めた。毎日投稿していた時の焼けつくような大変さを感じなくなって、何かを失ったように思えた。一週間に一本でもいいから動画を投稿し続けた。

ある日、動画が急に伸びた

認められた気がして、すぐに別の動画を出した

伸びなかった

伸びた動画で扱ったVtuberで動画を作った

伸びた


それが、卯月コウだった


三本目、四本目を出しても伸びた。コメントが面白いように書かれた。動画の編集を褒められる。でも、最初の動画から技術が伸びたわけじゃない。扱う人物が変わっただけだ。次第に、視聴者は私の動画ではなくVtuer本人を見ているんだと思えてきた

私はVtuberに寄生して動画投稿をしている

6月27日の昼頃、チャンネル登録者数が1000人を突破した。収益化のラインである4000時間の動画再生と1000人のチャンネル登録。たった3か月のことだったが達成できた。


すべては「にじさんじ」に寄生した結果である


かつての自分には表現したいことがあった

絵が描けない自分は中学3年の時アニメ制作を諦めた。高校2年の時、アニメの道を選んだ。諦めきれなかった。「撮影」という場なら自分の力を活かせると知った。専門学校ではやりたいこと、表現したいことをやった。アニメ会社に就職して、監督や演出、撮影監督の顔色を窺って編集した。


表現したいことがあった


映像でなら叶うと知ってのめり込んだ


でも、顔色を窺って映像を作るのが長かった


それが嫌でアニメ会社を辞めたのに、今では結婚式場で、もっと多くの人の顔色を窺っている。Youtubeでも顔色を窺いだしたら映像を作る意味はない。

私自身が表現者になる時が来た


私の人生の目的は「地元で映像編集者として生活すること。自分と同じように考える人たちの道標になること」


今、自分は交差点に立っている


「交差点に出るたび左に曲がれば大丈夫」なんて言ってたラッパーは交通事故で死んだ。


私は右に曲がることにする


それで死んだら、笑って異世界転生でもしてみる

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