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私と乳がん――手術前後の記録。家族とカナダの病院で出会った方々について。

私の家族とは、夫と2人の娘たちのことですが。

ちょっと遠方に住む夫の両親は、私の手術翌日、毛布や果物、たくさんの手作りケーキやおかずになるパイを宅急便で送ってくれました。

ちなみに日本には高齢の母がおりますが、手術のことをまだ知らせていません。それでなくてもカナダにいるだけで心配をかけているのに、信心深い母は仏壇の前にいる時間をさらに長くする。私が完全に回復するまでは、高齢者向けのジム通いで、健康的でいてほしいと思っています。

とにかく私の術後の経過は良好。
ヘッダー写真の通り、軽いダンベルと呼吸筋を鍛えるためのおもちゃでリハビリ中です。今後の“My journey”は、摘出された部分の病理診で決まることになっています。


さて今回、私が初めてがんに罹患して、家族っていいなーと思ったことから書いていきます。



「もし、ママ(私)が死ぬことになっても、パパ(夫)は再婚しない。子どもたちは料理してくれるし、洗濯もしてくれる」

これは、針生検の結果を聞きに行く車中で、夫が私に言った言葉。そのときはまだ治療方針がわからず、わかっているのはしこりが悪性だということだけ。本人は肝を据えたつもりでいても、一緒にいる配偶者の立場になると、心配指数がマックスだったのでしょうね。

勝手に私を亡き者にした、その前提!
女性という性に家事を任せっぱなし!

それでも私はこの発言、死ぬほど嬉しかったです!

なにせ、私たち夫婦はお互い再婚カップルで、子どもたちは私の連れ子です。すでに成人した子どもたちなので、私がいなければ親子解消という選択肢もありですから。


「ママがいないと生きている意味がない。パートナーって、そういうものだ」
「あのさぁ……。子どもたちがいるでしょう? 2人の将来を見てくれる人はパパしかいない。頼んだよ」

この会話は、手術に行くときの車中。
(全摘ですら日帰り手術。その全容は後述です)

亭主関白なのに恥ずかしがり屋で、何も言わなくても空気読め的なところもあるひとです。英語日本語まじりの夫婦の会話は、勘違いからのケンカも多々。

普段はケンカを避けるべく私をそっちのけ。子どもたちと英語だけで会話するほうが気楽、といった様子なので、実は古女房をこんなに大事にしているとは知りませんでした。がんになると急に、命は輝きを見せるのかもしれないですね。お互い本音をさらけ出す良い機会となりました。

私が胸をひとつ失って得たのは、夫婦の絆と家族の結びつき。かけがえのない大切なものを可視化できた気分です。


次に私が病院で会った方々について。

「Sorry, for your discomfort. (ごめんね、イヤだよね)I'm sorry」

これはマンモグラフィの技師さんの言葉。
Sorryを言うのはカナダの国民性なんですって。
1日に何回言うかのアンケート調査まであって、よく言う地域は、平均19回だとテレビで観ました。この技師さんは私にだけでも10回は言っていましたので、1日にすると100回近いのでは。
胸を潰される検査は切ないですが、その気持ちをわかってくれる技師さんの話でした。

「できるだけゆっくり説明しますが、理解できなかったら遠慮せずに質問してください。そのほうが嬉しいです」

これは針生検をしてくれた大学病院の専門医の言葉。この国で英語が喋れないのは恥ずかしいことではなく、多文化だと理解してくれます。
そのドクターは自己紹介に始まり、実は日本へ旅行したいと場を和ませて、検査ための手順を丁寧に説明。施行後は私を褒めてから別れの挨拶までフルコースでしてくれました。

ドクターが患者と対等であろうとする姿は、本当に立派だと思います。

他にも自分のスマホの翻訳機能で、検査説明を日本語に変換してくれた技師さんもいました。

とにかく100%無料でがん治療を受けられるカナダはすごいって思うし。
そして、医療従事者はフレンドリーな方ばかり。

しかし、ときには困ることも。
私は大学病院の中で、事前に場所を聞いていたにも関わらず、しっかり迷子になりました。
入口に戻って聞いても「そこの階段を登って」を聞き逃したために、再び迷子。

あとから分かりましたが、私が1階だと思っていたフロアはベースメントだったんです。そして、階段を登ったあとも、昼食を提供するワゴンや大きなゴミ箱で隠れてしまったサインを見落とし……。

ごちゃごちゃし過ぎと私の方向音痴のコラボです。現に帰り、降りてきたのは違う階段でした。


「あなたの胸筋、きれいでしたよ」
「よかった……」

手術の執刀医と私が術後、最初にした会話です。大学病院の迷子から19時間後のことでした。

乳房切除術では胸筋まで切除しないのが通例ですが、元来が超痩せ型の私には脂肪組織というクッションがなく、がんの真下は胸筋です。この2ヶ月、がんが胸筋に浸潤しないようにと思って、就寝時は寝返りを頻繁にしていました。

痛くて硬くて重い感覚に、眠れるわけないです。

少し話は逸れます。がん細胞はこれまで一定のスピードで増殖すると考えられていましたが、最近の研究では夜間から朝方にかけて活発になる日内変動があるらしいです。これはがん患者は夜に寝ないほうがいいという結論ではありません。体力回復のために寝たほうがいい。ただ私の体は、がんの増殖を抑えようと頑張っていたから、眠れなかったと思うのです。

執刀医のドクターとこの話をしたわけではありませんが、必死にがんと戦っていたことが報われたような気がします。言葉に詰まっていたらドクターは優しく私の頬を撫でてくれました。

もう一人、麻酔科医のおじいさんドクターも「よく頑張ったね」みたいなことを言いながら私の頬を撫でてくれました。この国ならではの温かさを感じます。



それでは最後に、さらっと。
私の日帰り手術の流れは、以下の通りでした。

朝は4時半に起床。
前夜と当日の朝に全身シャワーする指示を完了させる。

5時半に家を出て、6時20分に病院のテレビ電話の向こうの誰かと話して受付を済ませる。

6時半からオペ室のナースの前で手術の同意書にサイン。術衣に着替え、点滴で抗生剤の投与と吐き気止めの内服。

麻酔科医と初めて会う。外科の執刀医に会うのも2回目。私は両ドクターの腕の良さを聞いているので特に不安もなかった。

8時半にナースの誘導で歩いてオペ室へ。
入口に置いてあったストレッチャーに、
「手術が終わったら、これに乗るからね~。あなたの貴重品はここに置くわよ〜」と、私のスマホと眼鏡はストレッチャーの下へ。

手術台に寝たら、背中にモニターの端末、足には血栓予防のポンプ。

「ゆっくり酸素を吸って〜」
「麻酔薬が入るよ。体が熱くなるかもしれません」

最後の記憶は、うっ、気持ち悪っでした。
どうりで吐き気止めが処方されるわけだ。

覚醒する直前、私は犬と草原を散歩する夢をみていて、それは確実に時間が経ったという感覚に繋がった。

10時半。予定通りの時間にスッキリとした目覚め。
呼吸しても、胸にビー玉を抱えているような重さがない。
ようやく深呼吸できる体を取り戻すことができた。
気管挿管の抜管直後のはずなのに、のどの痛みもまったくなし。

ストレッチャーでデイケアのリクライニングチェアへ移動。そこからはナースの付き添いで歩行練習もして問題なし。

ジュースにビスケット、クラッカーにスライスチーズという、パーティメニューのような軽食を頂いているときに夫の面会が許可された。

痛みもまったくなく、午後1時にはリリース。

帰宅後の夕方、むくみで呼吸が辛くなる。
しかもドレーンからの廃液が真っ赤で、凝血した塊が廃液口を塞いで廃液できない。

午後7時に救急外来受診。
手術創からの出血はなく、血圧や血中酸素濃度に問題なかったので、私のトリアージは4。交通事故の患者が優先で待たされる。
依然として呼吸苦あり。手術創のテープ固定が背中まで及ぶのが原因らしく、圧迫感の中で努力呼吸を繰り返す。

午後9時に救外ナースにドレーンの廃液方法を教えてもらう。正解は廃液ボトルを押すという通常の方法ではなく、ボトルをゆっくり上下左右に振って、少しずつ廃液するやり方。併せて、手に力が入らなくても指でチューブ内の凝血を1cmずつボトルへ向かって押し出す方法(これもドレーン説明書にはなかった)も教えてもらう。

そのころには術後のむくみが落ち着いてきたのか、呼吸苦がなくなる。

午後10時に帰宅。
疲れて食欲がなく、プロテインパウダーを溶かして飲んだ。

夜間は水分ばかりを摂っていたので2時間おきにトイレに起きるが、その合間はぐっすり良眠。切開創の痛み自体は自制内で、術後の痛み止めは一切いらなかった。

翌日からはドレーンの廃液量も少なく、当初からの予定通り、術後4日目に病院のホームナーシングという部門で、ドレーンを抜く処置を受けた。

カナダでは条件を満たせば、ナースの判断でドレーンを抜いてもらえる。そして、土日祝日関係なく診てくれる。頼もしい。

「あなたの経過は順調だから、もう会うことはないと思うけど、抜いた後、むくみや傷口の心配があったら、日中はここへ連絡して。夜間はナースのホットラインがあるから」←すでに知っていたのは、救急外来のナースに教えてもらったから。

もう会うことはない、という言葉が私の心に響いた。

一貫して言えるのは、医療のプロとの出会いは一期一会の連続だった。
医療費無料なのに手を抜くことなく、どの方も温かい心で患者と接し、また会いたいと思わせてくれる。

これからの私は化学療法になるかもしれなくて、また辛くなったとしても、家族がいて、心強い医療従事者もいてくれる。

きっと頑張れる。

いつか私も、いえ、元気がないときでさえ、温かい心を忘れずに、それを誰かにバトンしながら生きていかれたら、と切に願う。





それでは、また。
ノートでお会いできる日まで皆さんお元気で。

私は今日で術後7日目。腕も高く上がる。
衣類の着脱や台所仕事、子犬や鶏の世話もできる。

創部のしびれや突っ張り感は多少あるけれど、これは私にとって、今までの努力の賜物であり、勲章のようなもの。術前の痛みや疲れやすさと比べたら、何てことないと思う。

がん患者であってもなくても、辛いときにも、学びや出会いがあるのが人生の醍醐味だから。もっとワクワクしたくて、私はカナダに来たんだった。

共有してくださるノーターの方々、ありがとうございます。


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#一期一会























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