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単発大当たりやCZが無くなればいいのに。


今回書くのはタイトルの通り。
パチスロの大当たり差別や偏見について僕の考えを書きます。

僕は2年前に地獄少女のCZ、チャンスゾーンの目押しが出来なくて店員を呼んで目押ししてもらおうとしたら断られ、適応障害にかかってしまいました。
最近パチンコ屋復帰してからは主に目押し不要のAT台を打っています。
しかし今度はボーナス中に目押しが頻繁に必要な台に当たってしまい、コインを大量に取りこぼして、その結果、再び適応障害になってしまいました。

その過程で自分が何度も単発を引いて実感したのですが、いわゆる「適応障害の客」に対する店側からの差別や偏見がまだ根強く、忌避する風潮を強く感じます。

僕はこんな風潮、さっさとなくなって欲しいと思います。

ただ、それは僕を含めた精神疾患の患者に優しくしてほしいというわけではありません。
まあ優しくされたところで、この適応障害という病につける薬はありません。
存在しない病気につける薬はこの世に存在しません。
特効薬は確変、BB(ビッグボーナス)を引くのみになります。
ここらへんの僕の考えを書いていきます。

単発引いたときどうするの?

大当たりの差別・偏見はなくなった方がいいと僕が考える理由。
それは「あなたが単発を引いたらどうするの?」と思うからです。

あなたが「単発は甘えだ!」あるいは「自分はレギュラーボーナスを繰り返し引くような弱い人間じゃない!」と考えていたとしましょう。

そんなあなたがある日、急に単発を引いてしまった。
確変へ引き戻すこともできない。
BGMを楽しむ余裕すらない。
悲しくないのに涙が出る。
死にたいと強く考えるようになった。
そんなときに楽しくパチンコを打てますか?
確変を引けない自分を認められないせいで受診を拒むのではないでしょうか。

これ、まさに適応障害と診断されたときの僕なんです。
当時パチンコがしたくてしたくて大変で、頭痛が頻繁に起き、眠れない日もたびたびありました。
大好きな確変をなかなか引けず気持ちが沈んでいました。

僕はそんな自分を「こんなところで凹んでいてはダメ!もっと奮起しないと」と台を叩かず自分を叩いてしまったのです。まあ台も叩きましたが。
メンタル不調に陥っている自分を受け入れられなかったわけです。
そうして自分の状態に目を背けていった結果、適応障害になり、思うように打てなくなりました。

あのとき店員に文句を言う、バクサイに店の悪口を書き込むという選択ができれば自分の病状もここまで悪化することもなかったかもしれません。

確変やビッグボーナスに対して差別や偏見をもち、単発大当たりさせて勝利から遠ざけることは、適応障害の発見の遅れや症状の悪化、場合によっては自分を追い詰めて自殺に至ってしまう可能性があると僕は思います。

もっとパチンコ、パチスロを身近な問題、自分事として捉える必要があるのではないでしょうか。

誰でも単発を引く可能性がある

先ほど「パチンコ、パチスロをもっと自分事として考えた方がいい」と書きました。
僕がそう考えるのは、誰しも単発を引いてしまう可能性があるからです。

単発は甘えでも何でもありません。
脳の病気です。
置かれた環境にうまく順応できないせいで脳がエラーを起こすことで生じるものです。
元々、脳にエラーを起こしてる奴らしかパチンコ屋に来てないからといってパチンコ業界がそんな我々に何をしてもいいわけではありません。
※この点は僕個人の解釈です。

だからストレスがかかる状況だけではなく会社での異動や昇進、転職や引っ越しなど一見良い話に聞こえる出来事によって気分転換にパチンコ屋へ赴き、単発を引く人だっています。

つまりは環境の変化が心を壊す引き金になりうるということです。

いまは変化が激しい時代です。
2000年初めは4号機中心だったのが、10年ちょっとで5号機6号機が普及し、7のつく日や3のつく日のイベントは禁止されてライターや芸人などの来店イベントに置き換わりました。
ここ数年でいえば、喫煙が当たり前だったホールで原則禁煙が浸透していきました。

いま紹介した変化はあくまで一部ですが、ここで言いたいのは「時代が変化するスピードがとてつもなく早くなっている」ということです。

自転車が猛スピードであちこち曲がりくねりながら走っているようなものです。
そんな自転車に乗っていられますか?

自分で運転してるのに振り落とされたり転倒したり車と衝突したり(どんだけ)

つまりは誰でも時代や環境の変化に振り落とされてしまう、それが原因でメンタルが壊れる可能性があるってことですね。

以上の点から、1人1人が単発大当たりを引いてしまうのを自分事として考えていく必要があると僕は思います。

差別や偏見で当たりを偏らせるのは時代遅れ


誰でも単発を引く可能性は十分にある。
だから差別や偏見など持たず、パチンコ、パチスロをもっと身近なものとして捉えた方がいいよね。
そんな話を書きました。

ただ、僕の想いはそれだけではありません。
パチンコに対する差別や偏見をもつこと、「パチンコなんて自分には関係ない」と思うこと自体が時代遅れなんじゃないの?
そう思います。

なぜなら、これから先もパチンコ屋から産まれた適応障害の患者が増え続けることが予測されるからです。

実際のところ、世界的にパチンコ依存症(精神疾患)が重大な問題となっているのです。

現にWHO(世界保健機関)が2030年には、精神疾患が『健康な生活に影響を及ぼす疾病』の第1位になると予測しています。
世界的にはメンタルヘルスの重要性が認識されているということですね。

また、日本国内でも患者数は増えています。
厚生労働省の調査によると、精神疾患を有する患者数は2002年の258万人から2017年には419万人と15年間で1.6倍に増加しているのです。
約30人に1人、クラスに1人は精神疾患をもっているという計算になりますね。

これにパチンコ屋通いの客を足すと、上記の数字は意味を全く持たず、クラス全員30人31脚が精神疾患持ちということになりますね。

※厚生労働省の調査はあくまで通院or入院している患者数を示したものです。パチンコの客やボートや競輪競馬の客も含めるとさらに数は増え、天文学的数字になると思います。

この状況を踏まえると、「パチンコが自分とは関係ない」とか言ってられないよね…と思うのは僕だけですかね?

パチンコ屋を自分から遠ざけるのではなく、自分が単発を引く可能性も認識し予防に努めることが大事なのだと僕は考えています。

弱音を吐き出さず、受け止める

最後に単発大当たりについて僕が思うことを書きます。

パチンコ中に負けが込んでくると、「これだけ負けたら辞められる、これだけ単発大当たりを何度も引いたら辞めるしかない」という状態まで来る事が多々あります。
犯罪者が警察に捕まってホッとする感覚に近いです。

この時
パチンカー=犯罪者で
単発=警察という事実に気付きます。

大切なのは
「パチンコ店へ行く人間は犯罪者である」と自覚する事と
「決して国家権力に屈してはいけない」
という事です。

悩みや苦しみを1人で抱えているときこそ、人は精神を病んでしまうものです。それでいいじゃないですか。
抱えているものを受け入れてもらえなくてもパチンコ台が千円札を受け入れてくれれば。

気持ちが落ち込んだ、暗く沈んでいる、苦しくて逃げ出したい。そんな気持ちを誰かが吐露したとき、

「サンドに入れる金がない?それはお前の努力が足りないからだ!」
「甘えてるんじゃないよ!死ね!」
と突き返してはいかがでしょうか?

「あと100ゲームで天井だから、そこまで回して終了画面見てから判断すればいいんじゃないの?」
と正論で理詰めしてはどうでしょうか?

うんうん。

まずは「それは辛いよね〜。死ねば助かるのに」とアカギ1巻のアカギのセリフを読み上げてあげるのが先なんじゃないの?と僕は思います。

僕自身も適応障害の症状が苦しいとき、家族や友人、恋人など自分の気持ちに共感してくれる人がいない事で逆に救われました。

そんな時パチンコ屋へ行けば毎日同じ顔ぶれ、朝から晩まで毎日毎日居やがって…こいつら…。店員から、社会から笑われてるぞ…。
会話こそないものの、この様に常に交信はしていました。お互いに。

通信は通じたと信じることで、伝達は伝われば達すること、理解を望んではいけない。これはカイジの名言ですが、これに尽きると僕は思います。

人生という鉄骨を綱渡りする際、SNS等で弱音を吐くことが当たり前になって、「自分も吐き出していいんだ」と思ってしまいますが、弱音は連鎖し、落下の後押しをしてしまいます。石田さんを見習ってください。

鉄骨からは口を塞いで黙って落ちる事。僕はそう信じています。

…とまあ偉そうに書いていますけれども。
他人に求めるより先に自分が動かなきゃいけないですよね。

そろそろ口を塞いで鉄骨から落ちたいと思います。

(単発大当たりに苦しむ人が少しでも減りますように

パチンコでメンタルを壊す人が増えますように

僕は僕でできることをやっていきたいと思います)