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初めましてー自己紹介ー

初めまして。いっし〜と申します。この名前の由来は本名からです。年を追って簡単な自己紹介をと思いまして

①1994年誕生から小学校入学まで

1994年の冬、とある県とある市の山手のほうの小さな町に、長男として誕生しました。ひいばあちゃんから可愛がられ、よく畑に連れられていました。芋ほりをさせてもらったり、足の悪いばあちゃんを山に連れて行って遭難しそうになったりしました。そうなんですか。。。小学校はとても近所で、風呂嫌いな事(プールも嫌いだった)以外はまぁまぁ普通の小学生時代かと思われます。とっても甘やかされて育ちました。パチスロ(ゲッタマ、タコスロ)を打たせてもらえなくて、メダルゲームをさせてもらえなくてゲーセンの床で泣く保育園時代…

②小学校入学から中学校卒業まで

低中学年時代は信じられないくらいの水嫌いで甘えん坊。風呂もあんまり入ってなかったかも、そんな私は虐められます。まあ本当に軽度なものでしたが。4年生くらいまで月3、4日サボって朝からNHK教育を見ていました。でも5年か6年の時にプールを克服し、泳げるようになります。そこからはまあまあクラスに馴染んだ?日々を送りました。運動会で応援団長をしたり・・・とってもいい思い出でした。小学校を卒業して、中学校時代、勉強はできる方かできない方かで言ったらできる方でした。しかし、小学生時代のこともあり、コミュニケーション能力が少し不足していて、部活の顧問から「日本語を話せ」と言われたのがトラウマで、先生を相手にするのは少し嫌で、いい子ちゃんの仮面をかぶり続けるのは苦痛でした。なんとなーく勉強が出来る感じだったのでなんとなーくいい感じ(中の上から上の下)の高校に行くことにしました。受かった日の事は今でもうれしく思います。結果発表を見に行ったばあちゃんがとても喜んでいました。遊びの面では、何人かでゲーセンにチャリンコで通う日々でした、夏休みはほぼ毎日いってたかも?そのメンツは今思えば濃いメンツでした。あとはパソコンゲームでMMORPGにはまっていました。

③高校入学から高校卒業まで

高校1年生の日々は特に変わったこともなく、ある文化系の部活動に入部して、パソコンも使う部活でありそれなりに楽しい日々を過ごしていました。(中学時代「日本語を話せ」と言われたにも関わらず結構日本語が重要な部活チャレンジャー)成績も中の上くらい?担任の先生も顧問の先生もゆるーい感じの先生で、ストレスはありませんでした。学級崩壊気味でしたけど。いきなりですが高校2年生の後半、期末から高校生活の歯車が狂い始めます。直接的な原因は私の内面的な性格にあると思いますが、ある先輩が「●●先生にお前(イッシー)の事ご指導よろしくお願いしますと言っといたぞ」という意味不明な文言ですが、そこから色々な事が頭を過り学校に行くことが難しくなりました。今でもわかりませんが、あの頃は朝になると腹痛頭痛と手足の震えがいっぺんに来たんです。別室テスト等で進級する事ができました、精神科に通いながらだんだんとメンタルがぶっ壊れた私はもうどうでもいいやって感じでしたが、3年の時の担任の先生、主任の先生や、親父にとても救われていました。卒業させてもらい、某私立大学に入学しました。当時の夢としては、教員になりたいなと考えていました。(こんなメンタルで務まるわけがないですが)

引きこもりだった日々に光を与えてくれるものがゲームでした。先述のMMORPGや、PS3のCODやBFBCにはまっていました。(1日14時間近くやっていたかも)根っからの依存体質ですね。

④大学入学から大学卒業まで(詳しくは別記事)

大学は、この高校出身だったら行かないだろうな・・・ってイメージの大学でした。そりゃ1年近く引きこもりなのに、大学に受かったこと高校を出れたこと自体が奇跡みたいなものです。当時の先生方には本当に感謝しかありません。あれで高校が出れなかったら…どうなっていたことでしょうか。

大学入学前に、悪い事やってみようという変な思いで、悪い事をする一人旅&温泉旅(笑)に出ました。熱海(渋い)の風俗店に初めて行ったし、初めてパチンコ屋に入りました。今思えば初めてのパチ屋が交換所も探すみたいなさびれたパチ屋でしたが、奇跡的に数千円勝ちました。ギャンブルに関してはこれが悪い意味でのターニング・ポイントでした。風俗店のほうは・・・まあそこまではまる感じではなかったです(そりゃ熱海だから…)タバコもバイト先で吸い始めました。競馬もしっかりハタチから(そこは真面目)

いい友達は何人かできましたが、友達付き合いの仕方があんまりわかりませんでした。そんな野郎に教職なんて目指せるはずもなく、2年の後半くらいからまともに授業に出てませんでした。出たり出なかったりを繰り返す中、いよいよ単位の発表の日、4年の前期が終わったあたりで留年が確定していました。そりゃ大学に行った日よりもパチ屋に行った日のほうが多かったですからね。当時はパチ屋でタバコが吸えたので、相当ヤニ臭かったと思います。留年の際には、あと何年やるつもりなんだと父親に聞かれましたが、じゃああと1年という感じで適当に返事しました。消費者金融に借金したり、カードのリボで火の車、自転車操業でした。これは病気だなと思い、ギャンブル依存であるということを自覚しました。そのあともギャンブルは止まったり止まらなかったりでしたがギャンブル関係については別記事にも書きます。親のすねかじり虫で、大学は5年で出ることが出来ました。

⑤大学卒業から現在に至るまで

大学を出てから、仕事を積極的に探すことはありませんでした。バイト先に通う日々でしたが、何か資格を取りたいな、これから必要になる資格は何だろうという考えで福祉の資格を取ることを考えて受講しました。暗黒のような大学時代でも、明るかった時期に、いくつかの福祉施設にボランティアに行ったことがあったのです… 保育園時代に芋ほりさせてくれたひいばあちゃんも最期は認知症になり、僕の名前を忘れ、祖父母はその介護に追われ険悪な感じに…そういうのを見てきたのでなんか資格でも持っていれば何かに役に立つかなと思い資格を受講したのでした・・・

長くなってきたので次記事に続く

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