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自己観察と自己認知と自己洞察

観察と認知と洞察。
これに「自己」がくっつくと自己観察と自己認知と自己洞察。自分を見る理解する考える。
観察したら認知して洞察する。認知したら洞察して観察する。洞察したら観察して認知する −− この3つはセットにしないとあまり実用的ではないのではないか、と思っています。それにそもそも、おれにとっては、この3つは切り分かち難いです。常に組んず解れつ頭の中で蠢いている感じで。

みんなもときどきでいいから、このトリオを定期的にぐるぐるさせた方がいいんじゃないかな? と思って、今これを書いています。
こう思ったきっかけは、つい先日「ホーガンアセスメント」という分析テストとそのフィードバックセッションを受け、ここ数日それについて「洞察」しているから。

そしてもう1つ。10日ほど前に、「パチさんの強みは自己認知力だけど、それは日常的に自己観察していて、『物を書く』ことを通じて定期的に自己洞察しているからだろうね」と、おれが強く信頼している人に言われたから。
なるほどたしかにそうなんだろうなって思いました。


話は変わりますが、おれはものすごい方向音痴で、これまでに方向音痴にまつわる数々の逸話を生みだしてきています(自慢するところでも威張るところでもない)。そして50年を超える人生でおれを超える方向音痴にはただひとりしか会ったことがありません(自分のおふくろ)。
でも、そんなおれなのに、「本格的に」道に迷ったのはこの数年で数回だけ、スマホのバッテリーが切れてしまったときだけです。ありがとうスマホ! すごいよGoogleマップ!!

でも、そのスマホのGoogleマップにも、おれに言わせると小さな弱点があります。
それは動き始めてしばらくしないと、自分がどっちを向いていてどちらに向かっているかが分からないということ。
現在地を示す青い丸の周りに、扇状(放射状?)に「向いている方向」が示されるじゃないですか。でもあれ、あてにならなくないですか?

おれが使いこなせていないだけかも?

だから今は、駅を出たらその場で青い丸の位置を確認したら、あまり考えず気の向くままに直感に従い歩き出します。
2-30秒歩いてからもう一度青い丸の位置を確認すれば、自分が本当に目的地に向かっているのかが分かります(なぜか大体ハズれています)。

要するに、静止状態の1点だけで「現在地と目的地の関係」を掴むのは(少なくとも)おれにはほぼ無理だということです。

ということで、もっと遥かに複雑な人生の地図においては、1点じゃなくて2点、2点じゃなくて3点、4点とチェックポイントを増やし、さらにある程度は定期的に見た方がよいのだろうと思うのです。
特に、認知や思考には、人それぞれ「一般的」や「平均的」とは大きく異なる特徴やクセがあるので、自己認知と自己観察と自己洞察で「ナビの精度」と「その読み取り方」の両方をチューンナップし続けて行く方法があるんじゃないかなあ。

ノイズや、なんなら妨害電波も多いような地域で暮らしているのであればなおさら、ときに微弱になりがちな「自分のしあわせ」の位置を見失わないようしないとね。
Happy Collaboration!


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