見出し画像

ぼくらはみんな観たいものを見る鍋だ

・ 朝ごはん w/みんな。
・ デモクラシー・マッスル・トレーニング <反対意見表明>
・ 東川町 スタイル課の 菊地さんを囲む会
・ ランチ w/6人@うどん屋さん
ぱちはらダイアログ <民主主義とCompath>
・ 夜ごはん w/みんな。
・ VTS(ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ: 美術鑑賞WS)

ということで、昨日も盛りだくさん(ワーケーションだからお仕事もしてますよ〜)。
1つずついろいろ書いておきたくなるけど、時間は限られているし、記憶も限られている。…なんかちょっと切ないな、でもそれでいい。

誰かと、ちゃんとしっかり向かい合って、時間と空間を共有することはとても大切だ。
長さや濃さや頻度のちょうどよさは人それぞれだろうし、常に同じってわけでもないだろうから、そのちょうどよさを手探りしつつ、でもしっかりとそれを確保しながら過ごすってことが、丁寧にかつ上手に生きるってことなのかもな、なんてことを今、感じてる。

人生はシチューで人間は鍋なのかもしれない。つぎ足しつぎ足ししながら。

イスいろいろ


以下、スタイル課 菊地さんの言葉をベースに、自分なりの受け取り方を。


誰かがグランドデザインしたわけじゃない。町長でもないし移住者でもない。一つひとつは「点」の取り組みであって、それが後からつながっていった。

→ 「コネクティング・ドッツ」というけれど、点が大きいほど他の点とつながりやすくなる。つなげることを考えるよりも、そのときそのとき点を大きくすることに集中するほうが強いのかもしれない。


どうこれまでの取り組みとそこで育ってきた文化をどう継承するのか? それは、その時にやるべき人間がやる。その時にやれることをしっかりとやればいい。

→ 計画を入念に立てたり準備に時間をかけたりするのはもちろん悪いことじゃないけれど、ただ、時間や労力を「それ」にかけすぎると「それ」を捨てるのは難しくなる。「それ」に固執したくなってしまう。
そうではなく、そもそものWhyをしっかりと考え抜いて、自分たちの腹に落としきっていれば、あとはいかようにもなるしできると信じられる。


「町との対等なパートナーシップ」を求める相手しか受け入れない(「助けを求めているわけではない」ことを明確に表明した上で付き合う相手を決めている)。

→ これは町としてのスタンスの話だけれど、そこに住む1人ひとりにそのスタンスが根付いている人が多いのが東川町なのではないか? という気がしている。会った人はまだわずかだけれど。
だって、それが「自立」というものの基盤だと思うので。


外からリソースを取り入れて、それをベースに内需を作り、内で育てて循環させ成長させていく

→ これは町の中で回り続ける「小さな経済圏」を作る話だけど、個人だって家庭だって同じことなんだと思う。受け取るだけではなくて、それをどう育てて提供し、そこからまた受け取るか。
自分や家族を中心に置いた「小さな経済圏」をたくさん生み出してその輪を何層にも重ねていく。

色いろいろ

非日常をしっかりと抱きしめるほど、日常も愛おしくなるね。忘れちゃうんだろうけど。
でも、お鍋のどこかにうっすらそれは残ってる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?