『若者たちが語る「アフターコロナ」』を聴いたおじさんのメモ #1
普段、ラジオってまず聞かないんだけど、たまたま『若者たちが語る「アフターコロナ」』が放送されていた新年2日目はレンタカーを借りていて、かつ放送時間がちょうどぴったり運転中だったという奇跡が!
そんなわけで、NHKラジオ『新春トーク 若者たちが語る「アフターコロナ」』という番組を最初から最後まで聞くことができました(途中、トンネルで電波悪くなって聞こえないところもとこどころあったけど)。今、ググってみたらどうやらオンラインでネット上で聴けるようですが、ひょっとしたら今日までで、明日には聴けなくなっちゃうのかも!?
1. 資本主義を当たり前にしてきたけれど
斎藤幸平さんの「マルクスは死んだ犬みたいな扱いを受けている」って表現、これ日本語で通じるものなんですかね? 役立たずのことをdead dogと英語では言うけれど…それをまんま日本語にしても、みんな意味が取れるのかな?
2. 行き過ぎたいまと違う形の社会のために
「今日のテーマは人類におけるガバナンスの仕組みはどういうのがいいかという話ですよね」というリディラバ代表の安部さんの切り取り方に、なんとなくおれは「資本主義か社会主義かっていう2択論みたいなのもうやめない?」という主張が込められていたような気がしました。少なくともラジオで聴いていたときは。別な言い方をすると、「そんなドラスティックな変化を提唱しても、結局それを現実にはできないでしょうよ」というメッセージでもあったような…。考えすぎかな?
3. 環境問題は数値化しやすい
「ESGの中で環境問題(E)は数値化しやすいから経済と相性が良い。一方で社会(S)は心の問題など経済とは相性が悪い」という安部さんの見立ては納得感が高かったです。でも同時に、「とは言え、数字ってルールメイカー側からはいかようにでもできてしまうよね…」と思ったていたら、すぐに能條桃子さんから同様のツッコミが入りました。
4. 数値化したら解決するのか
「二酸化炭素の排出量をやり取りする排出権って、結局何も解決していないよね」というももさんが提示した話はその通りで、要するにババ抜きのババを手元から誰かに渡しただけの話ですよね。「そのロジックで責任逃れができる時代は終わりましたよ」というのがSDGsが主旨として伝えようとしているメッセージな訳です。
「でも経済ってそういうものだから。大人になれよ」とか言っちゃうのはもうNGです。見ざる聞かざる言わざるが通用しない時代になりました。
#空は全部つながっている
5. その目標、達成するのは誰?
「誰がどれだけの数値が設定されていないからSDSsは単なるウソ」っていうのは、まあ分かりやすい説明だけど、じゃあ数値が設定されていればいいのか、それに対する違反や罰則が設定されていればいいのか…と考えていくと、はたしてどこまで行けばウソじゃなくなるのかな?
「使えるものは何でも使わせてもらいまっせ」と安部さんはこの後に言ってるけど、実際にはありがたく背中を押してもらっているんじゃないのかなぁ。「国連、SDGs辞めるって」ってなったら、「そんな! スタッフが路頭に迷っちゃうじゃん?!」 ってなったりするんじゃないかしら?
6. 主体者として考えるには
「先人が作ってきたシステムには敬意を払い、時間をかけて変化させるべし」という安部さんの話は、世界中で当てはまることではないかもしれないけれど、日本に関してはまさしくその通りじゃないかなぁという気がします。2の「行き過ぎたいまと違う形の社会のために」で話したことの続きですね。実際、そうやって進めて行かないと、「1つの問題解決が別の問題を生み出す」というずーっとずーっと続いているループを断ち切ることができない気がしています。
ラジオを聴いた翌々日、この記事を読んで「ああ、安部さんが話していたことと重なるなぁ」と思いました。
7. 小さな一歩にフィードバックを
「グレタさんというホームラン」を「学習性無力感」との対比で語る安部さんの話はおもしろいのですが、ここで語られる「適切なフィードバック」については、「それをいつ誰がどのように与えるのか?」という一言に尽きる気がします。それが語られ設定されなきゃ単なるウソというか。
おれ的には、「利己主義ではない個人主義」を育むことが大切だと思っていて、そのための第一歩は社会からの「理不尽な連帯責任」の撲滅じゃないかな。
思ったより長くなりそうだな…。お腹も減ったので、今日はひとまずここまで! 続きはまた明日!!