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制約のある場に身を置いて何が起きるか(起きないか)

今回、何か特別なことをするのではなく、「ヨーロッパで暮らすこと」を通じて何を感じるかを捉えることがメインの目的となるわけだけど、その中で確認したい項目を書き出しておこう。

・ 「言葉のプロ」としての今の仕事(ネットワーキング・取材・ストーリーテリング・ライティング…)を、場所と時差という制約を乗り越えて、あるいはそれをプラスに転じさせて、より良いものに進化させられそうか?

・ 「言葉のプロ」という自己定義を超えて、もっと新しい可能性を自分に見出せるか?

この2つを、「おれ × IBM」というIBM社員としての枠組みの中でどれだけできるか。
そして同時に「おれ × 社会」という、IBM社員という枠がなかったらどうなりそうか? というのを少しでも見極めたい。

海外で中〜長期で暮らしたいって気持ちはまだ消えていないし、そのためにはある程度の安心感(収入や支出、住居レベルや平和)をパートナーに納得してもらえる状況を作り出せそうだとおれが思えるかが重要だ。それが、今回おれが10週間のヨーロッパ暮らしであたりをつけたいと思っているものだ。
「ぼんやりとした夢見がちな話」だとも思う。でも、20年以上「もう一度」と思い続けてきたことではあるし、ゆるりとも試さず「思ってるだけ言ってるだけ」で終わるのは気持ち悪い。
自分でも後者は相当ストレッチしたものだという意識はある。とはいえ、拡げようとするとタイミングによっては案外拡がることがあるのも可能性ってやつだってことは経験的に知っているし、夢を見ないことをよしとする理由はない。そのあたりのバランスは結構いいのよおれ。

と、いろいろかっこよく書いたけど、シンプルにこれは「自分に目的意識を忘れさせない」ためのメモに過ぎない。
目的が変わるのは全然OKだしむしろウェルカムだけど、おれの場合、変わり身がよすぎて、「あれ、最初は何か違う目的があったんだっけ? …思い出せないからまいっか」ってなることも少なくないんだよね。

ということで、このメモをときどき見直そう。(そして今日はIBM社内でも、初めて会った新しい部門の人たち15人ほどに、「クリエイティビティーを成長させるために、自分自身を制約のある場に置いてきます!」と挨拶してきた。ちょっと「はぁ?」って顔されてたかなww

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