見出し画像

この2つだけをもっとちゃんとしっかり伝えたい


ここのところ続けて日本の大学生と1on1でがっつり雑談をする時間が持てている。
彼らにいろいろ質問をもらって、答えているうちに、自分が伝えられることの中で、なにが最も意味あることなのか、少なくとも「あなたが置かれている状況や、あなたの性格や志向がどんなものであれ、これだけは絶対」と自信を持って心の底から言えるものがなんなのか。わかってきた。
話していると、ついつい欲張ってあれやこれや伝えたくなってしまうのだけれど、余計な提案はせず、この2つだけをもっとちゃんとしっかり伝えたい。


自分の好奇心を大事にしてあげて

好奇心を蔑ろにしていると、だんだん小さく消え去りそうになって、いつか、好奇心が見当たらない自分になってしまうらしい。なんとなく思い当たるふしはない?
そして好奇心がなくなったら…。多分、それはとてもさみしい生きかたになってしまうから。だから、自分の好奇心を大事にしてあげて。

将来のためでも稼ぐためでもモテのためでもなんでもいいけど、試してみても好奇心が持てないのなら、無理してそれを追わないで(逆に言うと、好奇心がなくてもぜひ試してみては欲しい。それをきっかけに好奇心が生まれることも少なくないし、なぜか試したことをきっかけに別のものごとへの好奇心に気づくこともあるから)。
好奇心さえあれば大丈夫。それを満たす方法はたくさんあるから。状況に合った方法や自分に合ったやり方はきっと見つかる。
そしてそうやって方法ややり方をいろいろ考えたり試したりできるのも、それが自分の好奇心の対象だからできることなんだよ。

自分が誇らしい選択をして

誇らしい選択っていうのは、今だけじゃなくて5年後も10年後も、「あー、あのときあれを選んだ自分っていいやつだと思うな。おれはああいう理由でそれを選ぶやつ良いと思うな」って思える選択をしてってことです。
選択の結果は関係ないよ。結果的に選択したものがうまくいかなったり、想定外の良からぬことや残念なことに終わってしまうのは珍しいことでもなんでもないし、常に起こり得ることだから。結果がどうでもいいとは言わないけれど、ここでおれがいいたいのは、それを選ぶ考え方だったり、そうしようと思う理由のことね。
しつこく書くけど、選択を誇らしく思えるかどうかに結果は関係ないから。「それを選択する理由」が、自分を誇らしく思えるかどうかだから。もちろん、それで結果も良ければサイコーだけれど、逆に、結果が良くても選択した理由がFxxkなものだったら、誇らしい気持ちになれないでしょ。そんな自分を好きになるのも難しくない?

なにがあろうと、最後の最後まで自分自身と縁を切ることはできないじゃん。最後まで一緒にやっていくしかない相手が、クソみたいなヤツだったら…そんな最悪な話ってないよね。
だから、自分のことを認めてやれるように。呆れて絶望して許せなくなる…そんなことが起きないように、自分を誇らしく思える選択をしてください。


少しでも「あーおもしろかった」とか「意味ある時間だったなぁ」と思ってほしいって考えながら喋ってるけど、明らかなのは、おれにとって彼らと雑談している時間がとても良い時間になっているってこと。
雑談を申し出てくれたみんな、本当にありがとう。またしよう。

雑談してる向こうでTrebbleがくつろいでた
こないだ行ったグラスゴーユニ前のバス停。How can they be…?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?