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50歳で初フルマラソンを走って気づいた「経営者がフルマラソンにハマるわけ」

去年(2023年2月)、50歳にして初めてフルマラソンを走りました。
それまでも趣味でランニング(というかジョギング)をしてはいたのですが、あまり大会に出ることもなく、さして長距離を走ることもありませんでした。

しかし、社会人大学院を修了したこと、コロナ禍に突入したことでわりとランニングする時間が増えたんですね。
そうすると自然と走る距離が伸びて、自分でも「何だか走れるようになったな」と自信がついてきました。

そんなある日、気付いたんです。


ん?フルマラソン走れるんじゃない?


何気なく高知龍馬マラソン2023の要項を見ていると、制限時間は7時間と記載されていました。

ん?7時間?…すごくゆっくり1キロ7分で走ったとして5時間かからない…あれ?もしかして走れるんじゃないか?だって1キロ7分ってめちゃくちゃスローペースだし。それまでまったく考えたこともなかった「フルマラソン完走」を意識するようになったのです。
「ん?フルマラソン走れるんじゃない?」

「えー、でも実際走れるか?」とか何とか逡巡したものの、「えいやー!」の気合で新しい挑戦をするのは好きな方なので申し込みました。

気合い入りすぎて…


「申し込んだからには猛練習だ!」と意気込んで、ほぼ毎日のように走りました。20キロを超える距離も頻繁に走りましたし、それまでと比べてペースも上げました。
そうすると脚力、心肺能力も上がってくるので楽しくなり、さらに頑張って走ることに。

…そのまま本番に出走できればよかったんですが、残念ながら右膝が痛くなってきたのです。最初は無視できるくらいだったのが、だんだんと走るのがつらくなり、最終的には曲げ伸ばしもつらくなりました。

考えてみたら当たり前です。距離もペースもいきなり上げすぎ、オーバーワークは明白でした。

準備不足のまま出走


右膝痛はなかなか治らず、結局痛みが引いたのは大会1週間前でした。

11月から2月の大会1週間前までほぼ走れずウォーキングのみ。明らかに練習不足です。
「今回は出走せずリタイアしようか…」と弱気になりましたが、そこは開き直りました。
膝が痛くて走れなくなったらその時点でリタイアしたらいいし、タイムオーバーになってしまってもいい経験です。

ということで苦戦覚悟で出走したのですが、予想に反して膝は痛くならず、25キロ過ぎまで快調に飛ばしました。(あくまで私のペースで、ですが)
特に20キロあたりの難所、浦戸大橋の急坂も楽々超えて桂浜を走るあたりは普段よりもかなりペースアップしていたのです。

調子に乗っていた


しかし、そのペースアップが仇となり、見事に30キロ手前あたりで脚が売り切れました。
あとはゴールまでぐっとペースが落ち、なんとか歩かずにやっとゴールだけはできました。

結果は5時間18分。30キロを過ぎてからはほんとにしんどかった。脚もそれまでとはまったく違い、重くて、痛くて…

ただ、「もう走りたくない」とは少しも思いませんでした。「または知りたい!」、「今度はどのレースに出ようか」、そんなことばかり考えるようになりました。
シーズンに2回走るぞ!
フルマラソンのシーズンは、だいたい10月から翌年3月くらいです。
初フルマラソンを走ったシーズンは、結局この高知龍馬マラソンしか走れませんでした。

「よし、次のシーズン(まさに今ですね)には2回走るぞ!」


そう決めた私は、2023年12月の国宝松江城マラソン、2024年2月の高知龍馬マラソンにエントリーしました。

やってみるとフルマラソンってハマります。割りと経営者にハマっている人が居る気がします。(自分もまさにそうですが)

なぜなのか考えてみたのですが、自分だけでPDS(PDCAと言い換えてもいいです)が回せるからではないでしょうか。
会社でも事業でも、そういう改善サイクルを回そうとしても、他人と一緒に取り組んでいる以上は自分の思うようにできません。でもフルマラソンは自分1人でやれます。自分の思いのままに改善サイクルを回せるのです。
それって経営者にとってすごく魅力的なんですよね。

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