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政治とは

政治というと右か左か、保守か革新か、改憲か護憲かといったイデオロギーありきの議論に、自分と違う意見を口汚く罵る結果になりがちだ。昨今のSNSの普及でそれはより顕著になっているだろう。

「政治とは」私なりの答えは「人と人との繋がり」だ。いくら内閣総理大臣といえども一人では何もできない。憲法上は総理一人で内閣を構成することは可能であるが所詮は机上の空論である。他の閣僚や党幹部、なによりも秘書官や秘書、官僚、党職員、国会職員といった事務方、裏方のサポートが必要不可欠である。

イデオロギーが政治の一部であることは否定できないが少なくとも全てではない。地方自治なら尚更である。


私はずっと政治に関心がなかった。むしろその話題を避けてさえいた。討論番組で口角泡を飛ばして感情的になって罵詈雑言合戦をする大人たちを「いい歳こいて何やってんだこのオッサンたちは」と冷めた目で見ていた。

そんなノンポリ青年が政治に関心を持ったのは10代後半のとき。18歳選挙権が導入されたから。ではなくワイドショーを見ていたから。当時大学生でアルバイトもしていなかった私は授業が終わると家に帰ってワイドショーを見てばかりいた。当時のワイドショーのネタは“舛添都知事の公私混同”。そうこうしているうちに舛添知事は辞任。その後任に注目が集まっていた。しかしフリップに出された後任候補の顔も名前もピンとこない。ノンポリ青年でも知っていたのは丸川珠代さんと小池百合子さん、蓮舫さんくらい。興味本位で政治家の顔と名前を調べる。同時に主義主張を知る。いつしか私はいっちょまえの政治オタクになっていた。

国会中継を見たり某動画サイトで演説を見たり“オタク活動”中の私のスマートフォンに流れてきた一つのリンク。『自民党中央政治大学院秘書インターン募集』。

今だから言える話だが「とりあえず応募だけしてみるか。落ちても別に失うものないし」程度の軽い気持ちだった。田舎者特有の「有名人に会えるかも」といったミーハー気質である。

応募して2週間ほど経った頃だろうか。知らない番号からの着信。恐る恐る出てみると「自民党中央政治大学院の◯◯です。一次の書類審査の合格と二次の面接の日程調整でご連絡致しました。」当って砕けろが砕けずに済んだ。応募した本人もビックリ仰天まさかの書類通過。上ずった声で日程を調整。そしてついに面接の日が来た。

なんてったって当時の私はアルバイトすらしたことがない社会経験0のウブな10代。そんな人間が面接のために自民党本部を訪問である。人生には上り坂、下り坂、まさかの3つの坂があるとよく言われるが、これはまさに『まさか』である。

巨人軍のユニフォームを着て甲子園のライトスタンドに行かんばかりにガチガチに緊張して党本部へ。早めに着いたのでロビーで待機。するとエレベーターが開く。なんと降りてきたのは茂木政調会長(当時の役職)ではないか!SPを引き連れているではないか!SP強そう!茂木先生眼光鋭い!受付の職員さんの「◯◯先生〜」「◯◯部会長〜」車の手配と呼び出しの声。

「俺は今、永田町にいる!俺は今、猛烈に感動している!」湧き上がってくる感情が言葉になって、そして星飛雄馬のあの声で脳内再生される。

“ミーハーハイ”になった私はその勢いで面接へ向かった。とは言っても、なにせ巨人ユニで甲子園のライトスタンドである。ドがつく緊張だ。何を話したかは全く覚えていない。そして1週間ほど経った頃、二次審査合格、インターン参加のご連絡をいただいた。

遂にインターンスタート。主戦場は議員会館の事務所と国会、そして党本部だ。それまで刺激のない毎日を過ごしていた政治オタクからしてみればこの上ない環境である。

インターン生の主なお仕事は秘書業務の補佐。部会への代理出席や質問作成補助等、“派手どころ”もさせていただいた。電話取りや書類整理といった“地味どころ”も楽しかった。なにせ電話の相手が政治関係者だし書類も◯◯省、◯◯部会といったものである。

秘書業務のお手伝いが終わったら日によっては党で議員の講演を聞く。やはり生の講演というのは格別だ。政策の話はもちろん法成立の過程、党内折衝、野党との折衝等、当事者でないとわからない話がある。個人的には「なぜ議員を志したか」が一番興味深かった。ある議員は「前職は官僚をしていたが、官僚にはできない、政治家にしかできないことがあると思ったから。」ある議員は「前職は教師をしていて教え子が自殺したから。遺書に国を恨むようなことが書いてあった。だったら私がこの国を変えてやる。」

仕事や講演傍聴が終わって党が手配してくださった宿泊施設に帰れば他のインターン生がいる。当然政治の話になる。食事に行って政治の話。宿舎に帰って政治の話。まさに朝から晩まで政治漬け。本当に楽しかった。

その後は党としての期間が終了した後もインターンを継続させていただいたり、某党内組織に入って約半年で辞めたりとカクカクシカジカあったわけであるが、私が永田町に身をおいて感じたのは冒頭の「人と人との繋がり」が如何に大切かということ。

実際、政策通を自称されているセンセイでも、それだけでは出世は望めない。政治は人間の営み。人間は感情の動物。永田町という場所は、利害やしがらみ、承認欲求、出世欲、自己顕示欲、嫉妬などの理屈で説明しきれない感情が複雑に絡み合う魑魅魍魎とした場所だ。

だからこそ、下り坂のときに傍にいてくれる人がどれだけいるか、常日頃から人間関係を疎かにしていないか。とどのつまりはこの2つが政治=人間の営みの要諦なのだと思う。


などと評論家のようなことを書き記しつつ、これらを自分自身にも言い聞かせつつ、筆を置こうと思う。

末筆ながら、先生や秘書さん、党の職員さん、インターン生等、今もお世話になっている皆様にこの場を借りて心からの感謝を申し上げます。いつも本当にありがとうございます。

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