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子どもの難聴に泣く親と差別

日本でひどい差別に合うということはそこまでないと思います。
わざわざ追いかけてきて罵倒されたり、石を投げられたりするわけではないですし。
そういう意味ではホントいい国ですよね。
一方で漠然とした差別意識というのは根深いような気がするんですが、
この障害に対する差別はどこから来ているんでしょうか。

人間はよく知らないものは怖い

差別の根底にこれがあると思うんですけど、
仮にある障害を悪く言う人がいたとして、
その人がその障害の『症状・治療法・原因』をよく知っているなんてことがあるでしょうか?
「ふむふむ、こういう症状で、原因は遺伝の可能性が高くて、治療法は今研究中なんだな、よし差別しよう!」ってなりませんよね。
そこまで知ったら、ある程度腑に落ちてしまうんですよね。
基本的には知ってもらうことで差別は解消できると思っています。

人間のキャパは限られている

ただ問題があります。
障害というのはその種類が多すぎますし、一つ一つが複雑過ぎます。
難聴だけでも原因から症状から多種多様です。
なかなか興味を持ちにくい上にややこしいとなると、なかなか手が出ない。
それを関係のない人に理解してくださいというのは難しいです。
現状多くの障害が理解を得られていないのはこういった理由で仕方ない部分があります。
今興味を持ってくれる方を大事にするしかありません。
まずは私たち親が、子供の難聴の話になったときなんかに、少しずつでいいので正しい情報を伝えていくというのが差別をなくす第一歩なんだと思います。

健常と障害のライン

そして日本に差別がある大きなの理由は、健常者と障害者の間にはっきり線を引いている、ということです。
障害者と出会っても自分とは違うカテゴリの人間という認識、これをけっこうみんなしているんじゃないかなと。
うちの子供は中等度難聴で補聴器をしているんですが、障害の等級というのは特にありません。もちろん障害はあるんですけど、障害者手帳とか障害年金といった制度上は障害者ではないんですね。
一方でメガネをかけている人で障害の等級に当てはまる人もいます。
じゃあそういった人を差別するかと言われると絶対しないですよね。
「その眼鏡の厚さだと娘はやれんな…」とか聞いたことないですし、
そんなこと言ったほうが回りからめちゃめちゃ怒られますよね。
でも補聴器に対してそれを言えてしまう人、いると思うんです。
どうも障害の重さで差別しているわけではないんですね。
じゃあ何かというと、見慣れないもの、聞きなれないものをに対する拒否反応『人間はよく知らないものは怖い』という上の話にやっぱり戻るわけです。

こういうアンケートもあります。
他国と比較しても区別する傾向は強いようです。なぜこんなに違うのかわかる人がいたらぜひ教えて下さい。

「障害のある人は、障害のない人と同じような生活を送っていると思いますか」という問いに対して、日本は「あまりそう思わない」「そう思わない」が圧倒的に多い


難聴児が生まれても泣かなくていい世の中へ

子供に難聴があるとわかって泣きました、というママの体験談は本当によく聞く話なんですが、これは差別の話と基本的に同じと思っています。
差別がなければ泣く必要もありませんし、難聴児が生まれても誰も母親が泣かないのであれば、難聴がすっかり理解され安心して育っていける世の中ということでしょう。
世間の差別意識は少しずつしか変わらないですが、親は難聴児が生まれた瞬間に自分の引いたラインを超えて我が子を迎えに行かないといけないわけです。泣いているのはその努力の証とも言えると思います。

まあそのライン自体が気のせいですからそもそも泣く必要はありません。
生まれたときから親と同じところに立っています。

さいごに

今回は差別について書いてみました。
今後はもう少し難聴の細かいところを書きたいと思います。
読んで下さいまして、ありがとうございました。


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