巣食う悪魔

シェイクスピアの『Macbeth』を観劇した。主人公のマクベスは、悪魔に乗り移られた様に権力に溺れ、人を殺していく。その罪悪感、後悔から幻覚が見えるようになり、万物を恐れ、最後は不幸な死を遂げる。

この手のものに、見覚えがある。モームの『月と六ペンス』のストリックランド。そして、フォン・ブラウン。先日の記事で私が述べた人物に多く似ている点がある。

……ごめんなさい、その記事消してます。

「悪魔」に取り憑かれていること、この3人の共通点だ。ただマクベスが異なるのは、彼が最後まで「人間」であったことだ。

ストリックランドもフォン・ブラウンも、自分の中の「夢」なんて言葉では形容できないものに突き動かされて色々なものを蹴散らしていく。やりたいから、やらなくてはならないから。歩いてゆく道に何があろうと、構わずそれを踏みつける。散らしたものに目もくれず、前に進む。

それに対してマクベスに取り憑いた悪魔はどうだったであろうか。彼は自分の歩く道に悩み、後悔し、恐れ、その弱さを見ない振りして進んで行った。返り血はずっと心の中に巣食っていたことであろう。

たまに、心に悪魔を飼っている、いや、悪魔に棲みつかれている「人間」が存在する。それらは創作物の主人公であったり、所謂成功者であることが多い。

もしも自分に悪魔が棲みついているとしたら、どちら側の悪魔であろう。私は前回述べたように、フォン・ブラウンのように生きたい。ただ、そうなったとき、私は「人間」ではないかもしれない。

後者、マクベスのような悪魔ならどうだろう。月並みな言葉だが、とても辛いだろう。人間の形を保った悪魔なのだから。どちらにもなりきれず、悪魔は人間を蝕んでいくし、人間は理性で悪魔を拒絶しようとする。

最終的に相打ちして「死」を迎えるか、若しかすると前者のような「悪魔」になりきってしまうことだろう。

もし、貴方の心に悪魔が棲みいる隙があるとしたら。

本になって、私の血となり肉となります