肩幅が広すぎる話
ゴリラだ、、、
私は鏡に映る自分の上半身に唖然としていた。
肩幅が広いことは知っていた。
自分がいかり肩であることも。
全ては小学生の頃、水泳を習っていたのが原因だ。
弟がスイミングを習いたいと言い出し、弟に水泳で負けるなんて嫌だ、弟には絶対に負けたくない、というしょーもないプライドを理由に私は小学校3年生の頃からスイミング教室に行くようになった。
小6でやめたが2級だった。
ただ2級なのでもちろんバタフライだって泳ぐ、バタフライで肩を強固なものにしてしまったことは言うまでもない。
私は先日、亡くなった祖母が作ったというワンピースを母からもらった。
試しに着てみたところ、目の前にはゴリラがいた。
どうした、そんなワンピースは脱いで、早く森に帰りなさい、と鳥が鳴いている。
私の本当の住処は森だったのか。
あんなに華奢に見えたワンピースは私の肩のあたりでギチギチになっている。
腕が上がらなかった。
もし無理にでも腕を上げていたら、ワンピースはブッチィと音を立て、縫い目は裂けてしまっていただろう。
悲しかった。
肩が広く、逞しいのは分かっていたが、まさかここまでとは、、、
完全に見くびっていた。
この力強い肩で、今までどれだけの風を切ってきたのだ私よ。
私は肩の部分だけがギチギチのワンピースを着たまま、高校生の頃、何度か呼ばれていたあだ名を思い出していた。
肩幅先輩
これほど私にとって切ないあだ名はない。
でも確かに「肩幅先輩」というあだ名に恥じぬ肩幅を持っており、否定することもできなかった。
少しでも肩幅の広い私に救いはないか。
と考えたところ、いかり肩は洋服が似合うという話をどこかで聞いたような気がする。
でも今着ているワンピースはどう見ても洋服だ。
「なで肩は和服が似合い、いかり肩は洋服が似合う」なんて誰が言ったのか、今からそいつを全力で殴りに行きたい。
それともこれは私が無意識に都合よく作り出した迷言だったのか?
こんなゴリラが無理やり人間の女の子になろうとした結果なんてこんなもんである。
正直バブル期に生まれたかった。
私なら肩パッドいらずだ。
もし今がバブル時代なら、この天然肩パッドをつけて、夜のクラブを踊り明かしてやるのに。
本当に悔やまれるばかりである。
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