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最期は本名で迎えるなら前もって準備してよね

2024年の1月は情報量の多い1ヶ月だったように思う。
大好きな能登の地震に始まり、羽田空港の重大インシデント、そして49年捕まらなかった指名手配犯らしき人物の急浮上である。
世界的にみても2つも戦争が進行しているのだから不安な気持ちを持ちながら暮らしている人が大半なような気がする。
そして私は、経過観察中の腫瘍の変化を気にかけながらいつか死んでも片付けをする人が困らないように洋服と蔵書の整理を細々と始めたところである。

これまで家族を看取り、死後の手続きをしていて痛感したことは生まれてから今までの戸籍謄本を揃えることは意外と大変であるということである。
例えば東京生まれ、東京育ちであったとしても結婚、離婚、引越しなどで戸籍を新たにしていた場合はそれぞれの戸籍謄本が必要になる。それに文京区にあれば文京区でしか戸籍謄本は入手できないので、世田谷区の戸籍謄本も必要となればそちらまで出向いて(郵送でもいいが)請求しなければならないということになる。近隣で済めばいいが、これが遠方となればまたそれなりに大変である。
しかもこの戸籍謄本を入手して手続きしなければならない相続に関わる手続きにはタイムリミットもあるため亡くなってから着手するのはなかなかハードな作業かもしれない。もちろん専門の士業の先生に頼んでしまえばお金はかかるけれど自分が大変な思いをしなくても済むし間違いはない。

だた調べてみると自分でも手続きができるようだったので、
誰かができることは自分にもできるはず
と着手したのだが、必要な戸籍謄本をすべて集め手続きするのは想像以上に骨の折れる作業であった。
この先、もし高齢の母を残して自分が死んだ時のことを思うと少なくとも自分の戸籍謄本はなるべく揃えておきたいと思うようになり近隣で入手できるものは完了している。

ここで強調したいのは、何度も戸籍を変わっている人は自分の戸籍謄本は全て揃えて持っておくことだ。
私は自分の出生から、実父母の離婚、養子縁組、自分の結婚・離婚と何度も戸籍が変わっているため面倒なことが多すぎる。
自分の戸籍謄本を本人が請求しているにも関わらず、何度も苗字が変わっているために、ある役所ではそれまで集めた戸籍謄本を全て見せながら説明したこともあった。

自分が自分であることを証明するのは難しい。

学校の卒業証書も、
英検や過去の賞状も、
今の自分の名前ではない。

運転免許、銀行、クレジットカードなど生活に直結するところはその都度
名前を更新しているが、あらゆるものが更新されるわけではない。
小学校の時に名乗っていた名前と
中学校の時に名乗っていた名前は違うし、
今の苗字とも違う。
そうして自分の名前が社会人になってからも変わることになり
結局キャリアも捨てることにした。
過去の仕事の時の自分の名前は過去の名前で、それが自分自身であると証明し業績として提出するにも心の痛みを伴う。
「結婚ですか?」
「どうして苗字が変わったのですか?」
確認作業をされる度に過去がえぐられる。
もちろん相手は必要な作業をしているだけで悪意があるわけではないことは分かっているし、その相手を憎む気持ちもない。
自分の運命であり、自分の選択でもある。
私は過去を掘り返されない今の自分で生きることにした。

逃亡犯らしき人物が
最期は本名で迎えたい
と発言したとニュースで知った時
それはもしかしたら誰かに対する何かのメッセージだったかもしれないが
本心なら50年近くを違う名前を名乗っていながら新しい人生を歩めなかった人なのだろうという気がした。
何も語らず無縁仏になることもできたはずだが、その一言で多くの人に囲まれながら看取られたことだろう。
DNA鑑定の結果が出る前に亡くなられたので彼の希望した最期は本名でという言葉が本当かどうかはわからない以上、発した名前が昏睡状態の虚言かもしれず、死亡診断書は従来彼が名乗った名前で発行されたのではないだろうかと推測する。
知らんけど。

人はいつか死ぬ。
私はまた名前が変わることがあるかもしれないが、残される人が困らないように準備しておくことは現行法が変わらない限り名前が変わって生きていく人が負う責任になるだろう。
現実に向き合うのは難しいけれど

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