論文紹介「<研究動向>「ケルト」とは何か」(九鬼 由紀)/「ケルト研究の現在・過去・これから:近年の考古学,言語学,考古遺伝学の動向から」(常見 信代)

「ケルト」って、何でしょうか。

そう質問されたらどう答えたらいいでしょうか?

私は多分答えられません。言葉に詰まってうなり声を出すしかなくなってしまう。

なぜかというと、これはまさに今議論の真っ最中の熱い議題で、はっきりした結論が出ていない問題だからです。今回は、この議題の論点を概括した二つの論文をご紹介します。

なんとこれらの論文、現在オープンアクセスになっており、誰でも読めます。日本語でケルト学の概論的論文がオープンで読めるというのはとてもありがたいことです。

<研究動向>ケルトとは何か(九鬼 由紀)
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=28596&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

ケルト研究の現在・過去・これから : 近年の考古学,言語学,考古遺伝学の動向から(常見 信代)
http://hokuga.hgu.jp/dspace/handle/123456789/3991

これらの論文に書かれた論点を把握せずに、ケルト人について論じることはできないと言っても過言ではないでしょう。

1.論文の紹介

論文の内容をそれぞれ簡単に紹介します。

「<研究動向>ケルトとは何か」(九鬼 由紀)では、「大陸のケルト人がブリテン諸島に移住し、現在までケルトの言語や文化を伝えている」という旧来の移住説が否定されたことを踏まえ、3章に分けてケルト概念とケルト研究史を概観し、どのようにしてこれまでのケルト概念が確立し、何が否定されているのかを説明しています。

第1章は「3つの「ケルト」-歴史、言語、そして考古-」と題し、3つの学問分野からみたケルトについての説明です。

第2章では「19世紀までのケルト研究」として、19世紀までのケルト学の歴史を振り返っています。

第3章「20世紀における「ケルト」の展開」では、20世紀の前半におけるアイルランドの独立と民族主義的雰囲気におけるケルト、20世紀後半のケルト概念への批判、そして現代におけるケルトブームの誕生と日本におけるケルトの受容の仕方について述べています。

「おわりに」において著者は、「ケルト」という言葉でカテゴライズされているのは複数の別々の民族であり、それらを一くくりにするのが誤りである可能性を示唆します。一方でそれら民族が似通った文化を保持していることを踏まえて、「おのおのの集団、あるいは部族の社会を個別にみることによって、比較的現実味のある、要は地に足のついた「ケルト」像の描出が可能なのではないだろうか。」と述べています。

「ケルト研究の現在・過去・これから : 近年の考古学,言語学,考古遺伝学の動向から」(常見 信代)は、「序」においてケルト研究の現在と今後についての状況説明が行われ、その中でC.レンフルーが、'Celtic'という言葉が八つもの意味で使われる「魔法の袋」(トルーキン)であると指摘したことが紹介されます。それ以降では古代、中世、近代、現代に分けて、ケルト研究の基礎的な資料とそれをめぐる研究史の紹介を行いながら、レンフルーの八つの用法がどのように生まれたのかを指摘します。

「1. 古代のケルト人」では、最初期のケルト人に関する言及からはじまり、5世紀までの文献における「ケルト」という語の使われ方に注目しています。その性質上、多くはギリシアとローマの文献です。

「2. 中世のケルト人」では、ローマ帝国の支配下でケルト人がローマに同化し、ケルトに関する認識や知識が失われた例として、中世に生まれたブリテンとスコットランドの二つの建国神話を挙げています。これらは王族の始祖のルーツをトロイアやギリシアとする神話ですが、それらの中でケルトについて言及されることはありません。また、『ケルズの書』を代表とする中世の装飾写本に貼られた「ケルト芸術」というラベル、「ケルト教会」という概念がケルト人由来の物ではないと説明します。

「3. 近代のケルト人」では、ブリテン諸島の言語とケルト人の言語とのつながりが注目され、ケルトが「再発見」され、今使われているような「ケルト人」の概念が創出されるまでの歴史を、ジョージ・ブキャナンやポールーイヴ・ペズロン、エドワード・スルウィッドという三人の研究者をピックアップして説明します。

2.「島嶼ケルト」

ところで、この中で「島嶼ケルト」はどのように扱われているでしょうか。

九鬼によれば、歴史・言語・考古の三つの学問分野において、「島嶼ケルト」をケルトに分類するのは言語学の分野だけです。常見によると、それは16世紀以降、ブキャナン、ペズロン、スルウィッドといった研究者たちが言語の類似を発見し、「ケルト語」という概念を産み出したからでした。その過程で、大陸のケルト人たちがブリテン諸島へと移動してケルトの言語や文化を伝えたという、従来の「移住説」が無根拠に唱えられたのです。そして現在この説は、考古学や遺伝学の成果によってほぼ否定されています。

それでは、「ケルト神話がケルト神話じゃなくなる」のでしょうか? これについて、常見の言葉を引用します。

これらはすべて 16 世紀以後に付け加えられた用例であるため,‘Celtic’と呼ぶのはインチキであり(S.ジェームズ),ケルト研究はケルト人の生きた古代に限定すべき(J.コリス)と主張する懐疑派もいる。確かにそのように考えることもできようが,筆者はケルト的なるものを自分ごととして受け入れていった過程もまた,ヨーロッパ近代史とりわけアイルランドやブリテンの近代史のまぎれもない一部であり,当時の文脈のなかで史料を読む必要があると考えてきた。(pp. 49-50)

これまでの定説は否定され、定義が改めて見直されています。しかし、まだケルト概念の再定義にはまだ時間がかかるようですので、落ち着いて動向を見守ることが、我々にできることだと私は考えます。


参照文献

九鬼 由紀、「<研究動向>「ケルト」とは何か」、関学西洋史論集 (43), 71-94, 2020-03-31

常見 信代、「ケルト研究の現在・過去・これから:近年の考古学,言語学,考古遺伝学の動向から」、北海学園大学人文論集 (68), 39-120, 31-Mar-2020

記事を面白いと思っていただけたらサポートをお願いします。サポートしていただいた分だけ私が元気になり、資料購入費用になったり、翻訳・調査・記事の執筆が捗ったりします。