見出し画像

積読は善か?悪か?

私は読書が好きであり、読書をテーマとした本もよく読む。

読書の本の中で「積読」というテーマに言及されることが多い。本によって、「積読」を肯定するもの、否定するもの様々である。

例えば、『積読こそが完全な読書術である』という本は、題名の時点で積読を肯定している。

一方、『読む力 最新スキル大全』では、積読を明確に否定している。読まない本にお金をかけるのは無駄だと言い切っている。

私は積読肯定派である。現時点で、もはや積読が何冊あるか全然把握していない。買ったはいいものの全く読み進めていない本もあるし、読みかけの本も大量にある。

別に積読してしまう自分を正当化するために積読を肯定しているわけではない。本を所有するとは、「本を読む権利」を有することだと思う。図書館で本を借りる場合、一般的には返却期限がある。また、自分が読みたいと思っても、わざわざ図書館に足を運ぶ必要があるし、他の誰かがその本を借りていたら、本を借りることができない。本を自分の所有物とすることで、自分の好きなタイミングで本を読むことができるようになる。これを「権利」と例えた。

それに、1冊の本は読み始めてから、例えば1週間以内に読まないといけないというルールも無い。別に数年かけて少しずつ読み進めるような、ゆっくりとした読書をしても良いだろう。こういったことを話したときに想定される反論が、「そんなゆっくり読んでいたら本の内容を理解できないのではないか」というものだ。そんな反論が生じるのは理解できる。そんな人は『読んでいない本について堂々と語る方法』をぜひ読んで欲しい。

「本を読んだ」「本の内容を理解した」という状態を定義することは非常に難しい。「通読」=「本の内容を理解する」とするのは多少乱暴なイメージがあるのは一般的な感覚だろう。本の内容を理解したかという観点からすれば、通読した本も積読した本も、その要素が違いを生むことが無い。

とまあ、色々書いてはみたものの、最近私は積読をむやみやたらに増やすのもどうかと思い始めている。やはり、貯金はあるに越したことはない。「自己投資にお金を費やすべき」というインフルエンサーの煽りに乗っかってはいけない。勿論自己投資にお金を費やすのは大事だが、その投資にちゃんとリターンがあるか見極める必要がある。「自己投資にお金を費やしている自分」に酔うためにお金を使うことは、投資ではなく浪費だ。

私は一般人よりも本を買うハードルが低いが、一応本を購入する際のルールはある。それは衝動買いをしないことだ。必ず一晩は時間を置く。一晩時間を置くことで買うべき本を選定することができるし、思考の整理にも繋がる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?