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映画を「情報収集」することに意味はあるのか?

先日Kindleのキャンペーンで購入した『映画を早送りで観る人たち~ネタバレ―コンテンツ消費の現在形~』を読んでいる最中で、4割ほど読んだ。

前提として、私は映画を早送りや10秒スキップで観ることはしない。それどころか、動画配信サービスにも登録していない。映画を早送りで観る人に対して違和感を覚える側の人間だ。

映画をわざわざ早送りする理由としては「情報収集」を目的とするためだそうだ。映画を早送りで観ること自体には共感を覚えないが、情報収集のためという理由は、結構納得のいくものがある。

小中学生のとき、私は芸能界に疎い方だった。それで、クラスの同級生との会話についていけないことが多く、ある種の疎外感のようなものを覚えていた記憶がある。小中学生ではなく、ある程度成熟しているはずの大学生の世代が同様な疎外感を覚えていることには多少の違和感があるが、疎外感と焦りの感情は分かる気がする。

私が小中学生の時代、動画配信サービスはおろかスマホすら普及していなかった時代では、テレビ番組を追いかけていればクラスでの話題についていけた、はずだ。(私はついていけてなかったので、一般論の話)現代は、コンテンツの供給過多の時代であり、「話題についていく」ためにチェックしておくべき作品数が多い。それが、早送り視聴に繋がっているという考察だそうだ。

まだ途中まで読んでないが、話題についていくために作品を追いかけておく、という行為がどこか「幼稚」だと感じる。そこまでして作品を追いかける意味はあるのか。広告代理店やマーケティング関係の人が流行りを追いかけるために「仕事として」流行りの映画やアニメをチェックするのは、まだ理解できる。そうでない一般人がわざわざ流行りを追いかける意味はあるのだろうか?

私は別に流行りだから観る、ということはしない。これは別に「流行りのものは観ない!」という頑固なポリシーを持っているわけではなくて、何を観るか考えるときに、「流行っているかどうか」ではなく「面白そうかどうか」で決めるという単純な話だ。最近流行った「鬼滅の刃」や「以下ゲーム」、「梨泰院クラス」など観ていない。自分の可処分時間を割いてまで観るほど興味が無かったからだ。ここで、「興味はないけど情報として把握しとかなきゃ」と考える人が、早送りで視聴しようとするのだろう。

後半の章では、「なぜ若い世代は頑張って流行りのコンテンツの情報をキャッチアップしようとするのか?」という点に焦点が当てられるみたいだ。この本はコンテンツを創る人にとって色々と気づきを与えてくれる本だ。引き続き楽しみつつ、考えつつ読み進めていきたい。


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