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おばあちゃんのお味噌汁

父方の祖母が亡くなった。86歳だった。
おばあちゃんは、おじいちゃんを見送った後も、海の見える大きい家で、一人で暮らしていた。
耳は少し遠かったけど、頭は最後までしっかりしていた。

私たち姉妹が幼い頃は、夏休みと冬休みに祖父母の家に遊びに行くのが楽しみだった。
一緒に、海で小さいフグやアジを釣ったし、川でアユを手掴みで捕まえた。
捕まえた魚たちは、いつもおばあちゃんがフライにしてくれて、みんなで食べた。
夜に、私や妹たちがお腹が空いたというと、のりたまをまぶした、たわら型のおにぎりを作って食べさせてくれた。
おばあちゃんのご飯はどれも美味しかったけど、私たちは、おばあちゃんの作るお味噌汁が好きだった。
母が作ってくれる味噌汁とは、違う味がした。
多分、飛び魚のダシを使っていたんだと思う。

お通夜にも、お葬式にも、近所の人たちが駆けつけてくれた。
おばあちゃんから、よく名前を聞く人たちだった。
みんな、おばあちゃんとのお別れを惜しんでくれた。

お葬式が終わり、久しぶりに身内だけの夜。
台所に立つ母の隣で、真ん中の妹が
「ばあちゃんの味噌汁、美味しかったよね」と、ぽつりとつぶやく。
「飲みたいね」と、末の妹が返す。

「作ったらいいんじゃない」と言ったのは、誰だっただろう。
おばあちゃんは、よくじゃがいもと玉ねぎの味噌汁を作ってくれた。
玉ねぎが甘くて、美味しかった。

ちょうど台所に、ジャガイモも玉ねぎもあった。
おばあちゃんがいつも使っていた飛び魚の干したやつも、まだ台所に残っていた。
料理が得意な末の妹が、野菜を刻む。
私たちは、おばあちゃんの思い出話をしながらお味噌汁を作る。
小さく刻んだ玉ねぎとジャガイモを鍋に入れ、飛び魚のダシも入れる。
干した飛び魚は、小さい頃私たちのおやつだった。
「飛び魚ちょうだい」とおねだりして、私も妹もよく食べた。

そうこうしているうちに、野菜が煮えてくる。
母と妹が味見をするけど、腑に落ちない顔をしている。
「なんか違うよね、なんだろう」
美味しいには美味しいんだけど、いつものおばあちゃんの味じゃない。
私たちが、ああでもない、こうでもない、としていると、救世主が現れた。父の妹のHおばちゃんだ。
おばちゃんは、小鍋を覗きこみ、「お味噌汁つくってるの?」と私たちにきく。
「そうなの、でもなんか違うんだよねえ。おばあちゃんの味じゃないの」と、母が返事をする。
「ああ、多分ね、市販の顆粒ダシも入れてたよ」

え、そうだったの?飛び魚だけだと思ってた。
さすが、おばあちゃんの娘。
おばちゃんの言うとおり、市販のお出汁を少し入れると、いつも私たちが食べていたお味噌汁の味になった。

夕飯を囲みながら、みんなでおばあちゃんの話をした。

寒がりで夏でも厚着をしていた。冷蔵庫には、いつも栗モナカのアイスが入っていた。器が好きでたくさん集めていた。コーヒーが好きで、角砂糖をたくさんいれて飲んでいた。庭のスズメに時々餌をあげていた。手先が器用で、フェルトのマスコットやお人形をよく作っていた。海の見えるこの場所が最後まで大好きだった。

おばあちゃんはいないけど、湿っぽい雰囲気にはならなかった。

次の日、妹たちと三人で、おばあちゃんの家の前の海に出かけた。集めたシーグラスや貝殻で写真たてをデコレーションして、おばあちゃんと私たち家族の映る写真を飾った。

これは完全に余談だけど、こちらで亡くなった人のことを思い出している時、天国ではその人の周りに綺麗な花が咲くらしい。
そんな話をどこかで見かけた。
きっと今頃、小柄なおばあちゃんが埋もれるほどの綺麗な花が咲き誇っているだろう。







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