とろりと、溶け合う。
こんにちは。深崎島ぴえろです。
毎日何か「書くこと」を決めて文章を書くというのは、
なかなか労力が必要ですね。
これだけでも、何か価値のあるもののように想えてきます。
今日は、「#ゆたかさって何だろう」ということについてさらっと考えてみようと想います。
ゆたかさ。
ゆたかさって何だろう。
・・・なんでしょうね?
辞書で調べてみても、こんなテンプレ、なんだかつまらない。
たとえば。
人それぞれ人生においての優先順位があって、
「ゆたかさ」はその優先順位によっても変わってきますよね、きっと。
お金があればゆたか、とか。
恋人がいればゆたか、とか。
仕事がうまくいっていればゆたか、とか。
誰かに注目してもらえればゆたか、とか。
ほんと、人それぞれですね。
十人十色、
ひとりひとりに違う「ゆたかさ」があるんじゃないですかね。
じゃあ僕にとってのゆたかさって何だろう。
いろいろ考えてみましたが、
僕にとっては「感じられること」なんじゃないかなぁと想いました。
ごはんを食べて「おいしい」とか「これは口に合わないな」とか、
感じられること。
旦那さんといっしょにいて「いとおしいな」とか「今のまじでうざかった」とか、
感じられること。
煌めきを放つ写真を見て永遠を感じられること。
生きている文章を読んで苦しみを感じられること。
ニュースを見て不安を感じられること。
眠気を感じられること。だるさを感じられること。やる気を感じられること。痛みを感じられること。喜びを感じられること。悔しさを感じられること。
ポジティブなことも、ネガティブなことも。
「感じてる!」ということを、感じられること。
「感じられる」というのは、ごく当たり前の様に想われがちですが、
実はそんなことはないと想います。
鬱になって感情がゼロになってしまったら。
戦争が起きて感情を殺せと言われてしまったら。
疲れてしまって感情を動かす余裕もなくなってしまったら。
「感じられる」という、当たり前のことが当たり前じゃなくなる可能性は、
実はそこら中に転がっています。
そこを踏まえると、
自由に何かを感じられるというのはとてもゆたかなことだと想いませんか?
そして大切なのは、
ポジティブなこともネガティブなことも、両方感じられるということ。
ネガティブなことばかり感じてしまうのは、ゆたかさに欠けていますよね。
では、ポジティブなことばかり感じるのは。
これもまた、ゆたかさに欠けているのではないでしょうか。
度を超えた苦しみや辛さに押しつぶされろなんて言いません。
だけど、多少のネガティブな感情は、
ポジティブをさらに格上げしてくれるスパイスとなります。
「感じられること」。
他の人がどう想うかなんてわかりません。
そんなのゆたかさとは関係がないだろう?なんて言う人もいるかもしれません。
だけど僕にとってのゆたかさは、やっぱりコレなんじゃないかなぁ、と想います。
何かを感じられるって、しあわせなことです。
僕は何かを感じられることによって、生きているという実感が湧きます。
感じるという心が死んでしまったら、
そのときが僕という人間の死を表すんじゃないかな、と、想うくらいに。
哀しいことを感じて、うれしいことを感じて、
たくさんの感じられたことが
僕の中で溶け合っていく。
そしてその繰り返しが、
僕の人生をゆたかにしてくれていると想っています。
欲を言えば。
何かを感じたときにそれを伝え合い、共有し合い、違う意見を言い合うような、
そんな相手がいてくれたら。
それ以上の「ゆたかさ」はない気がします。
ゆたかさって何だろう。
僕にとっては「感じられること」です。
いろいろな人の話も見に行ってみようかな。
深崎島ぴえろ☽︎︎.*·̩͙
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