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原神とわたし
今回は私周辺の事も少しだけ書こうと思います。
原神をプレイ開始して2ヶ月経つ頃に、原神について書きたいと思って始めた note ですが、隙間時間に「原神」で検索してヒットした他の方の記事を読むのもまた日課になっています。
note では原神に関する記事がとても少ないので寂しさがありますが、興味深いと思ったのは note のユーザー層的な理由でしょうか、何となく年齢的に大人な方の記事が多いのかなと。日々の生活の中に原神があるというか。
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「ゲーム」は日常に沢山ある娯楽の一つでしかないのと、生物として生きていく上では必要な存在ではありませんが、それでも生活の中でとても大事な存在になっている人も世の中に沢山いるのだろうなと色んな方の日記を読んで感じたり。
そしてそんな日記のきっかけになっている原神はよくできたゲームだとあらためて感じさせられたりもします。
▼ 最近読んでほっこりさせていただいた記事
(一方で、ゲーム内の課金で何万円もの額が一瞬で飛んでいくような値段設定になっている、原神も含めたここ10数年のスマホゲーム界隈の状況は私にとっては恐ろしく違和感というか、みんな感覚が麻痺しているんじゃないか?と恐怖さえも感じますが、買い切り型の家庭用ゲームのビジネスが破綻してきているのもよく分かるので何とも言えない気持ちになります)
そんな私は社会人になってから長年、ある分野の技術でモノ作りをしてご飯を食べてきている人間でして、これまでプライベート時間の大半は自己研鑽に費やしてきましたし、会社を超えたナレッジシェアが活発になるべく業界貢献してきた自負も多少はあります。
私が身を置く業界は、基本的には役職の付かない一般スタッフと、それをとりまとめる「リーダー」と呼ばれるプチ管理職で構成されていて、ディレクターやプロデューサーや部長みたいに大きな何かを統括するような職になれる人は全体数から言えば非常に少なく、プロジェクトの大規模化・高齢化も進んでいるためリーダーになれる機会もかなり減っています。そのためキャリアパスと呼べるようなものはまともになく、定年まで現場で活躍し続けて生き残っていくためにも我々技術者は何かのスキルや実績に特化して獣道を進んでいくしか無い感じがあります。
とにかく技術の進化が非常に早く、どんどん複雑化していっているため、年齢を重ねても自己研鑽を続けないと自信を保ちにくいです。学ぶべき事も多く‥振り返る度に「いやはや大変な時代になったなあ」と痛感します。基礎や本質部分はシンプルなはずなのですが、習熟難度の高い色んなツールを使いこなさないといけない。。私の場合はバブルを経験していないので大きな成功体験もしていない事や、道なき道を開拓してきた先人とは違ってある程度の道筋が存在する中でやってきたため、苦境を乗り越えるような経験が薄いのも自信の無さに繋がっているかも知れません。
そして他の IT 業界と比べると給料も高くなくて。むしろ驚くほど安い会社も沢山あります。悲しくなるほどに。
そんな中、業界全体に久々のえらいこっちゃな空気が流れています。国内だけでなく北米も含めた色んな会社で巨額の赤字にレイオフにスタジオ閉鎖にといったニュースが相次ぐ感じです。こういう状況は昔からたまにありはしますが、大きな波が来てますね。。去年の出来事も怒涛でしたが、今年も悲壮感漂うニュースが続いています。それらは私の身にも決して無関係ではありません。
とは言え何も理由が無く突然天災がやってきた訳では無くて、少しずつ破綻に向かい、ついに決壊が始まったという感じがしています。
そんな我々の仕事現場は航海に似てるなと思う事がしばしばあります。
例えば大海に船を漕ぎ出し、船員を沢山載せつつも、どこへ向かうのか? そこはみんなの力を注ぐ価値のある魅力的な場所なのか? 目的地に着くために何に注力して何を切り捨てるのか?‥といった事をみんなで共有して一丸となるのが大切な事なのは誰にとっても分かりきった事だと思うのですが、世の中の色んなお仕事には大なり小なりそういったことを示す役割を担う人がいるはずで、しかしその要素が希薄な船旅になると当然ながら船はどこへ向かうべきか見失い、進路を度々変えた挙句に遭難したり岩礁に乗り上げたり、急遽修理して航海を続けるも船底に穴が開き水が入ってきて港に引き返したりと散々な航海にもなり得るのかなと。
船がまだ無事に航海をしている最中に、ただの船員が船長に「目的地が不明瞭だ」とか「このままでは遭難する」と言っても説得力も何も無く、お前はお前の仕事をしろとなりますし、実際に遭難したり浸水したりした段には、その時自分にできる事をやるしか無い訳で。もしも「じゃあキミが船長やれば?」と言われたとしても、経験もなく「よし見てろ、みんなを目的地に導いてやるから!」みたいな根拠の無い自信も持ち合わせていないので、無力だなあと痛感しながら沈みゆく大きな船で引き続き作業を続けている‥というのが今の私の状況に近いかも知れません。それって無責任ですかね?
そうして私はかなり久々に自己研鑽を一切停止し、原神に手を出して現実逃避を日々満喫している最中という感じになります。人生の中でそんな数ヶ月があっても良いじゃないかと自分に言い聞かせて。
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↓ こんな風に詰めてプレイしているのも、1~2ヵ月で一通り楽しんですぐ自己研鑽に戻る気持ちの表れ(6月末にエルデンリングDLCが来るためというのもありますが‥)でもありました。
でも、沈んでいく船にしか見えない中でも全力で取り組むべき正念場が目の前に迫ってきているので、そのために英気を養っている面もあります。それに、原神のプレイを通して学べている事も多いなと感じています。この経験を無駄にしない気持ちではいます。
そして今はとにかくフリーナが待ち遠しい!
(Ver.4.7 祈願後半の開始日がエルデンリング DLC 発売直後なのですが‥どうするんだ私。。)
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