「古い先生像」を、やめてみた
どうも僕です。
休日の昼間、YouTubeでJFLの試合観てました
J1、J2、J3ときて、JFL。いわゆる4部リーグです。
解説どころか実況もない。ただ、音や演出に敏感な僕には「試合を映すだけ」というのは心地よい。
演出過多に疲れたら、試合の音のみを楽しむ。アリ🐜
✅「古い先生像」を、やめてみた
🏫
「先生の明暗、クッキリ」
🎓
今日のテーマはこの放送が機です。
簡単に言うと、DaiGoさんは過去に理不尽なことをしてきた先生個人に怒りを表明。それに対して学校側が口止めをお願いしにきたといったところ。
「ごめんなさい」の一言が言えずに長々と言い訳する醜さ。
対して「とはいえ素敵な先生たちもいる」と尊敬する恩師をDaiGoさんは紹介。
先生に対する怒りの後に、それとは別だと「先生という職を叩かないでください」と伝えたDaiGoさんに救われました。
僕も関わった子らの記憶に、良い意味で残りたい。そのためにー
「古い先生像」を、やめてみた。
✅「先生」だと勘違いする
📻
「お互い1人の人間として常識ある対応をする」
📱
最初にお断りしておきますが、ここで僕が目指す教師像は「個別指導の塾講師」です。
学校の先生は、全体を見る必要があるため、1人の都合に合わせることは難しいです。
対して、個別指導の場合はオーダーメイドでカリキュラムを組めるし、その日の調子や都合に臨機応変に対応できます。
だからこそ高額の料金をいただき、僕はそれに応えるべく準備や対応力に時間を注いでいます(また別の機会で話しますが、予習してこない先生は大嫌いです。安い授業じゃないことがわからないのか)。
その上で僕が意識しているのは
「先生らしくない先生」です。
天気の良い日には
「勉強じゃなくて、キャンプしたいね!」
生徒と一緒に
「あのYouTuberの昨日のやつおもしろかったね!」
とか。
立場上、上下関係をしっかりさせなきゃいけない学校の先生とのやり取りの後、塾でもカチッとしすぎてて退屈だったら、それはもう苦痛じゃないでしょうか。
親でも学校の先生でもない。でも自分と関わりのある年上の人という立ち位置だからこそ、僕はいくつになっても
「勉強を教えてくれる楽しいお兄さん」
でありたいんです。
というよりも、「先生」という立場は、記事冒頭のDaiGoさんの話の中の先生のように「勘違い」しちゃう可能性がある。
なまじ上から命令できるから、「それ、大人同士なら絶対しないよね?!」ってことを平気でする先生もいる。
こないだ、びっくりした。男の先生で年齢的にベテラン。その先生が小学生に「おい!」って。少なくとも2週連続で同じ調子。
「おい!」じゃなくて、なんでその生徒が授業に身が入らないか話を聞けばいいのに。
「おい!」なんて、大人同士の会話でしたら戦争だ。つまり、「相手を子どもとみて見下してる」わけだ。
✅まとめ
🦑
「先生なんて、偉くない」
🐙
僕は先生なんて言われるほど学も教養もない。
せいぜい「先」に「生」まれただけだ。
むしろ、義務でもないのに本当はもっと好きなことしたいのに、勉強するなんて偉すぎる。
そんな彼らにどうして暴言が吐けようか。
また明日から、子どもたちにたくさんのことを教えてもらいにいきます☺️感謝です。
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