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再フィリ - フィリピン留学4,5日目

こんにちは。p_culturephiliaです。
14日水曜日に急遽一時帰国をして、本日18日日曜日に再びフィリピンに戻ってきました。ご心配をおかけしたかもしれません。

祖父の家のベランダと見える景色

一時帰国をすることとなった理由は、母方の祖父が亡くなったためです。
13日の午後に連絡を受けて、16日に会を執り行いました。

父との関係が良くないわれわれ家族は、祖父を父のように慕っていました。母は一人っ子で、また祖母は私が生まれる前に亡くなっていて、本当に祖父、母、私、弟で一つの家族のようなつながりでした。

もともと2時間もあれば会いに行ける距離に住んではいましたが、私が中高で祖父の住む市に通うようになってからは、中1の1学期の間かな、毎朝学校の近くまで40分歩いて、雨のときはバスや電車に乗って、私に会いに来てくれたものでした。京王線の駅の前に立っている祖父を今でも鮮明に思い出せます。

文化祭や体育祭でもいつも祖父が来ていて、「年くってやっと授かったかわいい息子に会いに来ている父親」と勘違いされたことすらありました。
私が大学に通い始めてからは、いつも自慢ばっかりしていて、受かって蹴った大学すらメモっていました。

本当に大好きな祖父の思い出を話し始めるといくらあっても足りませんのでここらへんにしておきます。
未だに実感がわかず、留学で波乱続きだったということもあり良くも悪くも夢見心地という感じです。

家族3人で歌ってるイメージ図(笑)

いつも明るく朗らかな祖父で、喪主である母もそんな祖父に似て本当にいつも陽気でいるということもあり、また私が一時帰国しているということもあり、いわゆる通夜・葬式ではなく無宗教のお別れ会という形になりました。
親族だけのこじんまりとしたものでしたが、大変楽しい会になりました。どのくらい楽しかったかというと、私と母と弟の家族3人でスピッツを歌った(私はギターを弾いた)くらいです。まあもしも気になる人がいれば話聞いてください。

ということで、もちろん悲しいことは悲しいですが、それと同時に、祖父と一緒にフィリピンを楽しもうという気持ちでいっぱいです。写真も連れてきました。
したがって、今日18日からフィリピンに戻ってきて、留学頑張って、そして同様にnoteもまた更新していこうと思います。

ということで、最初から述べているようにほぼ備忘録みたいなものなので、先週火曜日、留学3日目の分から書きましょうかね。

教室。先生も昔はMacを使ってたけど壊れちゃったらしい。

初の授業ということで、少し緊張していたけれども、若くて明るい男の先生と6時間マンツーマンでした。

私のいるCNE1に来る人はいわゆる英会話を勉強する人が大半で、IT留学に来る人はあまりいないようです。本当なら4時間マンツーマン、2時間少人数制クラスだったんですが、他にITの生徒がいなかったのでずっとマンツーマンという贅沢な留学に。
「前にITの授業受けた生徒っていつ頃いました?」と聞いたら最初は「2月かな、、、?」とか言われましたが実際は1ヶ月前くらいにいたようです。それにしても、という感じですが。
ちなみにこの学校のコースには結構バラエティがあって、IELTSクラス(これは何人かいた)とか、バリスタ&接客英語コース(本当にコーヒー作るらしい)とかもあるようです。

CNE1 High TouchのIT留学はIllustrator、Photoshop、HTML、CSS、Javascript、jQueryを学べるものなのですが、本当に基礎的(とのこと)なので、Illustratorは飛ばしてPhotoshopから入りました。
初日はほんとにツールの使い方とかイラレにあるようなものも多く、1週間目安の教科書の半分を1日で終えてしまいました。まあプログラミングができるかどうかはわからんし、今となっては1週間短縮になってしまったので丁度いいくらいなのかも。

英語の発音も分かりやすいし本当に楽しい授業だったんですが、「チョットマッテネー」「ナイッスー👍(発音はniceではなくnaissuuu!な感じ)」などとちょこちょこ日本語を入れてくる先生だったので、逆に反射的に「ダイジョブー」と返事してしまいました。楽しい。

8時間授業かと思っていたら、授業は6時間、残りの2時間は自習という感じでした。その自習も教室でやってもいいし、別に部屋戻ってやってもいいということで、まあ実質フリータイム。
朝8時から昼15時まで授業、あと暇ということでまるで小学生のような生活ですね。午後が結構暇で楽しい。

自習で何をしていたかと言うと、「Photoshopって何も知らなかったらカメラのキタムラみたいな写真屋さんと間違えね?」って思ったのでPhotoshop亜土美(あどび)店のショップカードを作っていました。イラレで。予習復習嫌いなタイプ。

作り終わって、何しようかなあと時間を潰していたら母から連絡が来たという感じです。本当は祖父と電話をするはずでした。
祖父は今回のフィリピン留学に際して餞別をくれたのですが、出発前忙しくて連絡できず、とはいえ国際電話は高いからやめて、母が祖父の家に行くというタイミングでLINEを使って祖父と電話としようという予定でした(祖父はガラケー)。

連絡を受けてからは、逆に冷静に、飛行機のチケットを取って、学校のスタッフに連絡して、時間逆算して、、、という感じ。

CNE1はルソン島中部ということで、マニラにあるニノイ・アキノ国際空港よりもアンヘレスという途中の町にあるクラーク国際空港のほうが近くにあります。マニラからは5時間、クラークからは2時間くらい。以前東京(マニラ)から栃木(学校)に行くみたいなもんだと言いましたが、多分クラークは茨城空港です。行ったことないけど。

ですがクラーク便は本数が少ないということもあり基本的にはマニラ空港から送迎が出ている。

タイミング的にクラークのほうが早く帰ることができるということで、翌日7時クラーク発の飛行機のチケットを買いました。ちなみにクラーク-成田線はこの8月に就航しました。タイミングがすばらしい(ちなみにクラーク-関空線は2年前くらいに就航)。
送迎を頼むことも出来たのですが、いかんせんイレギュラーな曜日と空港ということで高く、自力で行くことに。SIMカードを前日の買い出しで買っておいてよかった。
14日午前1時半に起きて、2時半のバスに乗って、空港に向かいました。

バスチケット。こちらは帰りの写真。左下の₱って書いてあるところが料金で、穴が開いているところの分を払います。この場合は187ペソ。

フィリピンは鉄道が発達していないのでメインの交通手段はバスです。学校の前には主要な国道が通っており、バスもたくさん通っています。
バス停はなく、道端で手を上げて止める感じ。深夜ということもあり、守衛さんが手伝ってくれました。
日本の高速バスとも似た感じで、まあ全く快適ではないですけども、一応Wi-FIもあるしまあ悪くはない。
チケットはバスの中で車掌さんから手渡されてその場で払うという感じです。
2時間くらい乗るのに107ペソということでかなり安い。

順調に進み、DAU Bus Terminalに到着。クラーク空港至近のバスターミナルです。
ここから空港に行くためにはGrab(Uberの東南アジア版)かタクシーを使うか、ジプニーというバスに乗るかといったところです。
夜遅い(朝早い?)ということもありジプニーに乗ることにしましたが、乗り場もあんまりわからないし有料のトイレを無料で使っちゃうし(出口の前にいたお姉さんすみません)、あたふたしつつも待合室に到着。

ジプニーはこんな感じ(写真ACより)。

ジプニーはフィリピンではメジャーな乗り物らしく、米軍が置いていったジープを改造したことが由来だそうです。進行方向と平行、向かい合ってギュウギュウに座る感じで、あと天井が低い。乗り降りするたびに頭ぶつけました。

せまい・くらい・そとみえない

空港行きではあったもののクラークはあまりメジャーではないということもあり、周り全員フィリピン人、明かりも殆どない車の中で不安と悲しみと冒険心の入り混じった心情で空港に向かう、本当に私いま海外にいるんだなという感覚がありました。

パルプ入りのオレンジジュース好き。

20分くらい乗って空港に到着し、チェックイン&荷物検査。なぜか折りたたみ傘が引っかかって一度も使ってないのにしょっぴかれました。悲しいわね。朝ごはんはミスタードーナツ。説明板(?)はなかったので何のドーナツかはわかりません。

そして無事飛行機に搭乗。前晩ほとんど寝れていないということもあり爆睡。いつのまに離陸してた。
そして無事成田到着。京成線搭乗。爆睡。地下鉄搭乗。爆睡。寝過二駅。

喪服としてスーツを取りに帰るということで、直実家ではなく一度寮によったんですけども、そこでも1時間仮眠。時差ボケかな?(時差1時間)。
実家に帰ったのは夜。家族の心情とか空気感がかなりの懸案事項でしたが、とりあえず大丈夫そう。

15日、起きたのが14時でした。時差ボケかな?(いいえ)。
しかし日本は暑い。フィリピンというと結構暑いイメージがありますが、この時期は雨季ということもあり暑くても30度くらい。一度雨が降れば結構涼しくなります。
日差しが直接当たれば暑く感じますが、日本のみたいに重みがあって気圧すような暑さではありません。しかも私の実家はあまりクーラーを付けない(寝室はクーラーがない)から普通に大変でしたね(?)

この日は次の日の式次第を考えたり、買い出ししたり、ギター&歌のリハーサルをしたり。

16日、会。無事終了。
今まであまり人の死に直面したことがなく、納骨は初めての経験でした。いろいろな感情が入り混じってましたけれども、なんかインスタレーションの中にいるようだった。

17日は一日フリーということで、そういえば買えばよかったなあというもの(セルカ棒、ふりかけ、ファブリーズ詰替、酔い止めの追加分など)を買ったり、なによりメガネを買ったりしました。メガネ買えてよかった(一週間前行く途中にメガネを壊した)。

革の洒落たケース兼トレーもついてくるということでunicoとのコラボを選んだらレディースのものだったらしい。「つる短いけどまあ似合ってるしいいんじゃないっすか?」みたいな感じだった。

あとは弟と一緒にYoutuberの動画見て夜中2時まで大笑いしてたり…。


母が駅まで見送りに来てくれて撮ってくれた写真。なんか良さげに写ってたので載せる。駅リニューアル中。

ということで18日再び出発。
実家の最寄り駅は別に大きいわけでもないんですが、高速道路のインターチェンジが近くにあるということで空港バスが最近停まるようになりました。
道も空いててほんの1時間半で成田に着いて驚きました。

先週並んだチェックイン列。1時間以上かかった。

まあやはりこの短期間に2度同じ空港、同じ航空会社、同じターミナル、便だけちょっと違うけど、となると慣れたもんですね。前回すんでのところで逃したオンラインチェックインをしたおかげでチェックインは秒で完了しまして、吉野家で牛丼を食べて無印でこんぺいとうを買うという余裕の時間設定。

先週はマニラ便、今週はクラーク便に乗るという形だったんですが、なんと同じセブパシフィックのマニラ行きとクラーク行きが同時刻に隣のゲートから出発するんです。
就航時間とかに制限があるのか知らないけどさすがにこれは紛らわしいんじゃないかと思いますね。そのせいでチェックインカウンターも激混みだし(ちなみに同じくセブ行きが20分後)。
まあもしみなさんセブパシフィックに成田から乗るということがあれば絶対オンラインチェックインをしておきましょう。

機内ではレオンを観ていたんですけども、マチルダが「ゲームをしましょう」って言ったタイミングでセブパシフィック恒例 ”映画当てクイズゲーム” が始まって笑った。「1977年公開、「フォースとともにあらんことを」で有名な映画は何?」みたいなクイズに手あげて答えるとなんかグッズが貰えるみたいなやつです。実際レオンの中のゲームも俳優あてゲームだから似たようなもんだったし。

レオン良いですね〜〜〜〜ありがちといえばありがちなストーリーな気もしないでもないですけど、空気感とかマチルダの可愛さとか服とか含めてかなり良かった(いつもそうだけど映画の感想に関する語彙が乏しい)。ちなみに今はフィリピンのバスの中でサメ映画が流れています・・・・・・(フィリピンのバスはサスペンスホラーが常に流れているらしい)(日本の釣りバカか男はつらいよかドラえもんのほうがまだマシでは)。

ウェンディーズの「WHATTABOX」セット。右下のシェイク的なアイスはスプーン取りに行くのがかったるくてそのまま吸ってたらカップが割れてどろどろになった。

そして二度目のクラーク空港。同じく慣れたものですね。
ウェンディーズ(フィリピンには結構ある)でがっつり夕食を食べて、直行バスに乗って、今乗り込んでから1時間経っていますがまだ出発しません。フィリピンのバスは割と適当でそれなりに埋まったら出発するというスタイルなんだそうです。まあ門限も別にないのでのんびり行きましょうね。

真っ暗なのにテレビの広告だけはガンガンに光るしガンガンにうるさい。

計1時間半経ったくらいで出発。DAUターミナルでは商人のみなさんがバスに乗ってきて食べ物売りつけてきてびっくりしました(やはり外国人なのでかなり目をつけられる)。

ということで、22時過ぎにCNE1の自分の部屋に戻ってきました。いやー本当色々ありすぎたけど無事帰ってこれて良かった。おつかれさまでした。そろそろ平和な日記を書きたいものです。むしろ日記をつけるまでもない一日が訪れてほしいくらいです。

明日も8時から授業なので寝ます。読んでくれた方はありがとうございました!

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