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【前編】貯蓄ゼロ!リボ払い自転車操業の苦しい生活から月商130万円までの道のり〜二つの意識の食い違い












なんちゅータイトルだ笑

でも、嘘はひとつもありません。



簡単に言ってしまえば、借金のある生活からたった数年で月商130万円をいただくことになったということ

今回の記事ではその秘訣を前編、後編に分けてお伝えします。わたしが公に初めて語る内容です。


ちなみにわたしは「起業塾」や「マーケティング」に、自己投資したことはこれまで一度もありません(小声)

わたしが学びたいと思うのは、生きづらさを楽にする科学的視点の学びばかり(笑)そんなわたしでもここまで走ってくることができたのですから、

何十万、何百万のビジネス講座に自己投資なんてしなくても、あなたにも絶対できます!

だって、どん底を経験したわたしですらできたのですから◎




心理的に生きづらさを抱える時、個人的にはその大きな理由が2つあると思っています。


一つは人間関係。

もう一つがお金。



この二つともに悩みを抱える時、ヒトって1番しんどくないですか?もちろん他にも、人が人としてしあわせを感じるための項目って複数あるのですが、人間関係(特に近い人)とお金がうまくいかない時が、特に苦しいとわたしは感じています。


過去のわたしは、一度にその2つの悩みを抱えることになり、寝ても覚めてもしんどい日々を過ごすことになった経験があります。


(今回の投稿では、生きづらさの理由の中から病気など身体的な側面は省きます。病気は心理的不調和の結果の、身体的な不調和と考えていますが、今回のお金の記事では取り扱いません。)




しんどさmaxのとき、一度に多くのことに立ち向かう気力が湧きません。あれもこれも解消するのって、どんなに器用な人だとしても、やっぱり難しいように感じます。少なくともわたしはそうでした。


そのため、わたしがまず始めに手をつけたのは、「お金」でした。理由は単純。「お金が必要だったから。」そして、お金は自分の力でコントロールすることができる(働けば入ってくる)と思ったから。


一方、人間関係は相手のあるものだから、こちらがどんなに意識してみても、簡単には変化が起きないと当時は思っていました。(今はまたちょっと違う考えになっています。)そんなわけで、とても明確な理由から、まずわたしがフォーカスしたのはお金の課題でした。


その後お金の問題が少しずつ解消しはじめると、
人間関係の方の課題も自然と解消していきました。ひとつ詰まりが解消すれば、その他の滞りも同時に流れるシステムが稼働したようです。





こちらの記事では、「風の時代と仕事とお金」のマガジンのひとつとして、【お金】にフォーカスして綴っていきたいと思います。

お金はエネルギー。そんな当たり前の情報は書きません⭐︎前編では、人の意識とお金の話。後編では、お金をいただく時に生まれるエネルギーを、どのようにして循環させていくのか。超具体的で実践的な内容でお届けいたします。

お金についてわたしが感じている世界観を知っていただいた上で、これまでの「風の時代と仕事」のマガジンをお読みいただくと、よりご自身の毎日の暮らしに生かしていただけるかもしれません◎

ここから先は、お金とその受け取り力、循環の仕方についてを綴って参ります。目に見えない精神世界のことを見聞きするだけで吐き気のする方にはおすすめできない内容となります笑

目に見える世界と同様、見えないけれど実際に存在する精神世界や意識について、興味関心のある方はそのまま先へお進みください。

それでは、お金を受け取るために、まずは前提として知っていて損はない世界について、一緒に深めて参りましょう!





▷まずはわたしの簡単なmoney history



いわゆる一般的な金銭感覚の親の元に生まれる。
サラリーマンの父と、専業主婦の母、妹との4人家族。一般的とは書いたものの、「普通」は正直わからない。

決して裕福ではなく、かと言って食べていくのがやっとというほどの貧乏でもなく、「人並みの暮らし」をさせてもらったと思っている。そのことには、両親に深く感謝をしている。今回の記事を書くにあたっても、根底には両親に人並みに育ててもらった感謝と敬意があることを、先に記しておく。


その上で、「お金がない」に近い言葉を母の口からよく聞いていたこと。子どもながらに「そうか、うちはお金があんまりないんだな」「余裕はないんだな」と思っていたことを思い出す。


別に良い子ぶっていたわけではないけれど、妹がいるのに浪人は絶対にできないなと「勝手に」思ったわたしは、大学受験を指定校推薦に逃げた。指定校推薦という「絶対合格できる権利」を手に入れ、挑戦よりも安全を選択した。この時すでに「自分の本当の願い」から逃げる癖が深く刻まれていたことに思いを馳せる。(ただ、この時入学した先でのすべての出会いが、今のわたしを創ってくれているのは明白であり、人生って本当に全て意味があるなとつくづく思う。)


不運なことに、たまたま大学生になる直前に、実家のうん百万円の車が何者かによって盗まれた。犯人も車も見つからず、大学の入学金や学費の納入とも時期が重なって、我が家の「お金がない」に拍車がかかった。そのことをダシにしたお涙頂戴的な文章と面接により、見事1番利率の負担の少ない奨学金の受給にも成功した。
今思えば、わたしの初めての借金返済は、この奨学金だったことがわかる。


就職してからは奨学金を早く返済したくて、繰上げ返済なども頑張っていた。児童養護の仕事は楽しかったしやりがいもあった。〝ちゃんとした〟施設に就職できたこともあり、お給料も決して悪くはなかったため、返済も難しくはなかった。貯金をしっかりしていたのもこの頃。そんなわけで、お金の不安が付き纏うわたしは、施設の自立を控えた子どもたちのお金に対する不安にも、心から寄り添うことができた。


とは言え、20代の若い自分が奨学金という借金を背負っていることは、なかなか人には話せなかった。当時の交際相手くらいにしか話していなかったと思う。思い返してみると、その恋人も奨学金の返済をしていて、境遇はとても似ていたことを思い出す。おもしろいなとつくづく思う。同じ穴のムジナ。


その後、夫と再会し(同級生なのです)交際、結婚。からの、妊娠、出産。
とんとん拍子で人生は加速する。

ここでいろーーーーーーんなこと(内容は割愛 笑)があり、生活はカツカツに。そんな状況なのに、まだまだベビーの長男と生まれたての新生児の娘を抱えて、わたしは「子どもたちと家にいたい」と専業主婦宣言を強行。母が専業主婦だったこと、「保育園はかわいそうよ」と以前言われたことが引っかかり(決して悪気はなかった)、自分は保育士にも関わらず「我が子を預ける」という選択がどうしてもできなかったのだ。


徐々に生活が苦しくなり、リボ払いで毎月の支払いに追われ、返済額はなかなか減らず、苦しい日々。完全にお金とは不仲。貧乏マインドが発動していた頃である。

とは言え、money historyを書いてみたからより明確になったのは、わたしのこの貧乏マインドは、大人になってからのものでは決してなく、子どもの頃から引き継いでいたという紛れもない事実。

「問題」として現れる現象が、自分自身に与えられた人生の課題だったりする場合には、手を変え品を変え、何度でも同じ課題が降りかかる。おもしろいものですね。

ということで、わたしの人生に課せられた課題のひとつは「お金と仲良くなること」だったのではないかなと、今だから思うのです。





▷至ってシンプル!ほしいなら働く(稼ぐ)!




そんなわけで、目に見えてお金がどんどん減っていく経験をし、来月どうやって支払いしよう…という日々。もちろん夫とも険悪です。お金と人間関係、ダブルで問題を抱えて、どん底を迎えたときに、わたしのスイッチがやっと入りました。「働こう!」と。(遅!!笑)

もうイヤだって、心底思ったんです。
こんな生活、いやだ!って。

何がなんでも、もう変える!しんどいのは終わり!
そう強く決意したのを今でも覚えています。



人間関係の課題に切り込む前に、わたしが先に取り組む課題がきっと「お金」だったのでしょう。お金の問題をまずは解消しようと直感的に感じた瞬間でした。

一体わたしはいつまでお金と仲良くなれない家系に生き続けるんだろう、とまで思いましたよ笑。ご先祖のみなさま、あの時は家系のせいにして本当にごめんなさい笑!

子どもたちには、「お金がない」がベースにある生き方を伝えたくなかった。だから、わたしの世代でそのマインドは終わり!そう決意しました。



この、「自分で決めた」体験は、わたしにとってとても大きな転換期になります。夫や誰かに言われたから働くと決めたのではなく、「働かなければならない」と、義務感で決めたのでもなく、主体的に、「働く!」と決断した感じでした。決断の基準も、誰かや何かのせいではなく、シンプルに「やる!(働く)」と決めた感じです。


こういった決断の仕方を、「実体験型」と言います。一方、決断する理由を、例えば常識や誰かの権威、理性や理論に頼ろうとすることを「分離体験型」と言います。あなたのせいでお金がないから働かなければいけない、とか、夫が働けって言うから働かなくちゃいけないとか、水道光熱費を滞納したら白い目で見られるから働かなくちゃいけないとか…そういった分離体験型での決断は、脳の情報処理の仕方が自分以外の何かに頼ることになるため、自分自身からその決断が切り離されてしまいます。



つまり、「自分には決めることすらできない。そんな無能な、無価値な存在だ」という自己否定のスタンプを自ら押してしまうということ。

すると、脳と身体を繋ぐルートでも「ストレス反応」を呼び起こす伝達経路が稼働することになるのです。苦痛系システム稼働オーライ!というわけ。つら。

そうすると、働くことそのものが苦痛になってしまいやすいです。

もし今働くことがしんどい方は、「実体験型」で「わたしは働く!なぜなら〜だからです。」と働く理由も明確にして、自分自身に言い聞かせてあげましょう。脳はややこしい複雑な思考は処理しきれず、真逆に捉える性質もあるため、シンプルに自分に言葉をかけていく必要があるのですよ。


そんなわけで、わたしの場合は断崖絶壁にまで追い込まれた結果、「働く!」と自らの強い意志で決めたことがある意味功をそうし、お金と仲良くなるための最初の大切な一歩目となりました。


とっても簡単なことなのですが、お金がないならお金を得れば良いわけで、お金を得るためには働く必要があるわけで。その働き方というのは星の数ほどあると思うんです。

お金がないない!と不安で、苦しくなっているにも関わらず、ただ立ち尽くしているだけの方に伝えたいのは、もっとシンプルに考えてみようってこと。お金が必要。お金がほしい。これは悪いことでは決してなくて、生きていくために当たり前のこと。

であれば、お金が必要なのだから、「働く!」とまずは決めること。腹を括ること。とっても大切なことだと、わたしは思います。その決断があって初めて、じゃあ今の自分にできる「働き方」って何だろう?その問いに対する答え探しの旅が始まるのではないでしょうか。


このシンプルな問いかけは、自分でお仕事を創りあげていきたい方にとっても応用可能な考え方になります。わたしが「やりたいから、やる。」たったそれだけでいいのです。そんなこと言ったって恐い…無理…でもやりたい…やっている人が羨ましい…そういう気持ちが湧いてくるのも重々承知していますので笑、そんな気持ちに対する対策については次の後編の記事で書きますね!



▷どんな働き方でお金を得ていたの?(わたしの事例)



さて、ここでやっとわたしの働き方の推移を見ていきましょう。わたしが出産後にした1番初めの収入の得方は、不用品の販売でした。働く!と決めたものの、娘が入園するまでの期間があったので、某販売サイトで不用品を販売して収入を得ることにしたのです。

もちろん雀の涙ほどの収益ではありましたが、確実に家計の足しにはなりました。買ってもらえることをありがたいなぁと思いましたし、メッセージ上ではありましたが、久しぶりに社会とのつながりを感じられたような感覚にもなりました。そうなってくると、お客さまおひとりおひとりに対するメッセージや梱包も、丁寧にやりたくなってくるわけです(単純)。そんな良い循環が生まれ、お客さまからいただく評価はオール星5つ!お客さまに丁寧に対応することを大切にしたいわたしの土台は、案外この不用品販売の頃から根付いていたのかもしれません。


この頃には、今の活動の根幹である「生きづらさを抱えるママのサポートがしたい」という気持ちも生まれていました。不用品販売と同時進行で図書館の本(タダ)で学びを深め、今はすでになきブログを書いたり、わずかな収益で学びに自己投資したりもし始めた頃です。



次にした行動は、夜間の飲食店バイトです。普通の飲食店でしたが、深夜営業もあるお店で週3〜4日働いていました。子どもたちが寝静まり、夫が帰宅してからバトンタッチ!子どもたちはまだまだ突然のお熱の多い時期で、昼間働いてもすぐに呼び出しを喰らうなと思っていたし、昼間は今の自分のお仕事の種を育てる時間にあてたかった。だから、夫さえ家に帰宅してくれていれば、子どもにも負担のかからない夜間に働くことは、当時のわたしにとってとても理にかなった働き方だったのです。この話は親にもリアルな友人にもほぼしたことがなく笑、驚かれることもしばしば笑 


その勤務も嫌々やっていたわけではなく、勤務先の同僚(大学生や同じパートのおばちゃんや常連のお客さま)とのおしゃべりが本当に楽しくて(仕事しろ!笑)、特に若い子の視点を学べることはわたしにとっての財産となりました。しかも賄い飯もいただけたり、働けばお金ももらえるわけで、個人的にはいいことしかなかったです笑 デメリットは寝不足になることだけ。肉体的にはしんどいこともありましたが、精神的には楽しんで働けていた日々でした。


日中は、今の自分のビジネスの芽を更に育て、発信や親子向けの対面でのレッスンなどもひっそりとスタートしていた頃です。ただ、自分のお仕事でマネタイズすることや、お金をいただくことへの抵抗はありました。「夜間バイトでお金は稼げているからとりあえず大丈夫」。そんな〝逃げ〟のマインドでした。

わたしなんかが自分のお仕事で稼ぐなんてできない。わたしになんて何もない。お金をいただくなんて恐い。そもそも、周りにどんな目で見られるか恐い。ずっとその気持ちを拭えずにいたため、「夜間バイトも楽しいし、勤務を増やせばいっか。」そうしてのらりくらりと1年半ほどが過ぎていきました。



そして転機が訪れます。そう、コロナです。

コロナによって夫の仕事が激務となり、夜間わたしが家を空けることができなくなりました。夫の帰宅が遅い日に、何よりも大切な我が子たちを置いて出勤することなんてできませんからね。わたしの夜間勤務に強制終了がかかったわけです。


でも。
夜間の飲食店勤務で得ていた分の収入は、我が家にとって必要なものでした。その頃にはすでにどん底の生活苦ではなくなっていましたが、それでも毎月安定して入っていた収入が断たれるというのは、不安でしかありません。一体どうしよう。先行きの見えない未来が恐くなりました。


「覚悟を決めるしかない」


やりたいことでお金をいただく道へシフトチェンジするなら今しかない。そう直感的に感じて、オンラインでのお仕事を本格的に始めることに決めたのです。お金に困り、「働く!」と決めたあの時から3年が経っていた頃でした。


そして更にコロナから3年。現在のわたしが在るのは、これまで辿ってきた全ての仕事と働き方のおかげです。そして、この3年間、今日まで大切に育ててきた今のわたしのお仕事があります。

節目節目で決断に迫られる出来事に見舞われながらも、必要な道に乗ってここまで来たのだろうなと思わずにはいられません。とはいえ、自分で始めたお仕事が、ずっと順風満帆だったわけではないことを、この後書き進めていきたいと思います。




▷ただ楽しかったはずなのに




始めのうちは、ひたすら楽しい!しかありませんでした。自分がやりたいことをして、そこに集まってくださるお客さまがいて、そのお客さまとのつながりがうれしくて。そしてまた自分がやりたいことをする。そんな繰り返しがとにかく楽しくて仕方なかったのです。その気持ちしかなかったうちは、集客に困ることも、定員割れしてしまうこともありませんでした。

それが段々と変わってきたのは、お仕事を始めて2年目の頃。元々お仕事が楽しかったからどんどんスケジュールを入れていったわけなのですが、段々仕事に追われることがしんどくなっていきました。子どもとゆっくり過ごしたいのに過ごせない。旦那さんと話したいのに話す時間が取れない。わたしの大切な時間がたくさん奪われているような感覚に陥ったのです。

その結果、わたしは少しでも「時間」の確保をしようと仕事のスケジュール減らしました。すでに完成している仕事の繰り返しだけで、ちょっとだけ楽をしてお金を得ようとしたわけです。するとどうでしょう。確かに時間的余裕は生まれたように見えたけれど、これまでひたすら楽しかったお仕事に、飽きや陰りが見え始めたのです。結局、空いた時間もなんだか手持ち無沙汰で、子どもたちとの時間もこころから楽しめない上に、とてもわかりやすく収入もガクッと減った時期もありました。




▷無意識に生じるお金を稼ぐことへの抵抗感




一体どうしたもんか。
よくよく自分を観察してみると、この背景にあったのが、実は幼少期の父の姿だったことがわかったのです。


わたしの父は、本当に働き者でした。(いや、現在進行形で働き者です。)土日休みの仕事ではありましたが、休日出勤もザラにありましたし、平日は常に御前様。am3時に帰宅して、シャワーだけ浴びて、1時間だけ寝てまた出勤。繁忙期はそんな「働き方」をしていた時もありました。

家で仕事の愚痴を言うタイプではなかったので、娘のわたしは父が仕事の不平不満を言っている姿を見たことがありません。(母にはごくたまにこぼしてはいたそうです。)
そんな父の姿を見て育ったわたしは、「身を粉にして働くことでお金は得られるもの」。そんな思い込みが無意識にべったりとこびりついていたのです。


また、それだけ自分の時間を捧げて働いても、我が家は裕福な家庭ではありませんでした。父の働きが悪かったとかそういうことではなく、ただ事実として「裕福ではなかった」そういうことなのです。



▷お金を得るためには…わたしの思い込み



・アクセク働かないとダメ
・仕事とはしんどいものだ
・お金は簡単には入ってこない
・お金を得るためには時間をかけなければならない
・簡単にお金を稼いではいけない
・簡単にお金を【親より】稼ぐべきではない



そんな無意識の信念を、わたしはこれまでずっと握りしめていたのです。


だから、わたしがギュウギュウにスケジュールを入れてしんどくなった時、ほんの少し時間に余白を持たせてみたところ、どうにも居た堪れない気持ちになったわけです。だって、「アクセク働いてもいないのに、お金をもらってはダメ」というわたしの無意識が発動していたから。


本当は大好きなはずの自分のお仕事なのに、「仕事とはしんどいものだ」というわたしの前提が、大好きなはずのお仕事をしんどくさせていたのです。


身を粉にして働かないと、お金もお客さまも、みんな手に入らない。入るはずがない。

過去の体験に、自分の意識がそう思わされていたのです。わたしの場合は、かつての父の姿がわたしの中の小さな記憶となり、その小さな小さな意識が「自分の仕事で簡単にお金を稼ぐなんてありえない」と強く抵抗を示していたようでした。




▷二つの意識の食い違いによる肉体の混乱



人はみな、幼少期の体験を記憶の奥底に眠らせています。その記憶は、もちろん顕在意識としてのぼってくるものもたくさんありますが、簡単には思い出せない記憶として残っているものも多くあります。


その、意識的には思い出せない記憶も、なくなってしまったわけではありません。〝わたし〟というひとりの個体の中にいるもう1人の〝わたし〟であり、そのもう1人の〝わたし〟という記憶の存在は、実はあなたの中に何人も何人もいるのです!!


この〝もうひとりのわたし〟が、「お金は簡単には稼げない」と思っていたとしましょう。どんなに今の「わたし(=顕在意識)」が「お金は簡単に稼げる!」と思ったとしても、その裏側で「簡単には稼げないよ!」と綱引きを引っ張るかのように抵抗を示していたらどうでしょうか。


稼げると言う意識と、稼げないよという無意識の記憶。

二つのバラバラの意識が同時に働くことに、人の脳は混乱します。

前頭前野は特に、混乱を招いているときはうまく機能することができません。


また、残念ながら人間は生き残り戦略のため、ネガティブな反応の方が強く働くようにできています。つまり、無意識の記憶の方にひっぱられてしまうことの方が多いのです。 


これがお金を本当は稼ぎたいのに稼げない、そんな現実ばかりを引き起こしてしまう理由です。


親の姿が、大人のわたしの中にまだまだ住みついていたという事実に、わたしは驚愕しました笑
嫌だとか、親のせいでとかそんな気持ちではなく、ただただびっくりしたんです笑
アラフォーにもなって、まだ親のマインドに縛られている自分に、ひたすら笑ってしまったんですよね。


そっか、わたしも含め、みんなだから現実が思うようにいかないのかって。今回はお金をテーマにしているので、【お金を得る】という視点から書き進めてきましたが、実はこれ、「なぜか幸せになれない」そんな現実ばかりを何度も繰り返してしまう方にも、同じ原理を当てはめることができますよ◎




次の【後編】では、その過去の記憶(無意識)と今のわたし(顕在意識)をどのように使いこなして、現実にお金を得るという循環の道に乗ったら良いのか。具体的な方法について書き進めていきたいと思います。その上で、果たしてお金とは何なのか。わたしなりの見解も導き出したいと思っています。


長文お読みくださり、ありがとうございました!
次の後編もどうぞお楽しみに。


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