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【自分のポジションにとらわれないように、お互いに受容すること】LONGSTAY Program 2019|bi-PARADISE 記録上映会

ロングステイ・プログラム2019では本年4月のアーティスト公募から始まり、7〜8月のリサーチ滞在、10月からは本格的な滞在をおこなってきました。「bi-PARADISE 記録上映会」では今回の滞在の様子を切り取ったいくつかの短編からなる記録映像を上映し、滞在アーティストのエンリコ・フロリディアとともにその内容を振り返るトークを行ないました。

PARADISE AIR LONGSTAY Program 2019
bi-PARADISE 記録上映会

日程:2019年12月8日(日)
時間:18:00-20:00
会場:元映画館
登壇:エンリコ・フロリディア(bi- メンバー)、星野 太(ゲストリサーチャー)、長谷川 新(ゲストキュレーター)
フード:Teshigoto
映像:金巻勲(コーディネーター/エデュケーター)

予告編映像

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🎬短編上映:出会うこと
🎬短編上映:食べること

LONGSTAY Program2019応募の経緯

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<エンリココメント>
bi-は「何もしないために」あつまるAIRで、1年半ほど前からエンリコとジェロームではじめたプロジェクト(キキは後から参加、現在は3人のチームで動いている)。シチリアやフランスで行ってきたbi-ではお金をとらずに7〜8人に滞在してもらい共同体として活動してもらう。特定の場所を持っているわけではなく、可能な場所を使いながら・移動しながら開催。
PARADISE AIRでの「AIR内AIR」を提案したのはその仕組みに新しい価値を生めるかもと期待したから。

<星野コメント>
何をリサーチするか決まっているわけではなく、アーティストとともに始めてから何をリサーチするか決める、というスタンスで参加した。ゲストキュレーターよりもわかりにくい立場ではあるが選考過程から参加してきた。
書類審査〜公開最終選考:AIR内でAIRで行うという提案が印象的だった、AIRとは何なのか/何をしているかという素朴な疑問を提示するものだと思うから。
→ゲストリサーチャーと同じく、始めてみて/やってみて思考されるものだと思った
驚いたこと:「何が起きるかわからない」ということに対する期待感が審査中に(みんなの中で)膨らんだ、ということ。街の人や松戸市の人がいるのに、とてもチャレンジングな選択をしようとするところが驚きだった。PARADISEが培ってきた価値だと思った。

🎬上映:日常をおくること

bi- PARADISEを体験して

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<bi- PARADISEレジデント(加藤康司)コメント>
PARADISE AIRのスタッフではあるが、今回はアーティストとして/一滞在者としてbi-に参加した。
滞在した人たちは一生懸命たのしもうとしていて、豊かな時間だった。コーディネーターとして働いている場所ではあるが、もっとのびのび違う場所に感じるくらいにはリラックスして過ごしていた
bi-の3人はホストとして一生懸命頑張っていて、自分は一生懸命ダラダラしていて。
夕食は滞在している人たちが得意料理を振る舞っていたのがとても良かった、食事をすることはすごく生産的とは言えないかもしれないけれどクリエイティブでいい時間。
Loitering(何もしない/ダラダラする)をいかに実現するか、作品化するかでbi-が頑張っているのを傍目に見ながら自分はだらっと楽しく過ごす、という1週間だった。

「何もしない」の後ろにある「一生懸命」

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<長谷川コメント>
だらっと(Loitering)が実現されている後ろには'一生懸命'がある、ダブルバインドである。

🎬休憩中にもう一度上映:出会うこと・食べること・日常をおくること

<星野コメント>
はじめて2期(リサーチ期間と実施期間)に分けて開催。夏のリサーチ期間はエンリコのみ松戸に滞在、夏休みの期間だったので長く一緒にいられた。
bi-レジデントのダラダラとした滞在のためには、bi-メンバーは反比例的に頑張らないといけない。松戸市の広報誌に滞在者募集の告知を出すとき、bi-のマニュフェストを掲載したかったので英→日の原稿を準備していた。一緒に美術館に行っていたとき(リラックスしたいとき)にちょうど〆切だったので、ふたりがかりで一生懸命校正していた・・美術館にいながらのハードワークは夏から始まっていた。

🎬上映:記録すること
🎬上映:別れること
🎬もう一度上映:出会うこと

bi-にとっての作品って?

<エンリココメント>
この作品の結果はアート作品として展覧会などで見せることが難しいもの。しかしなにもないかというとそうではない。
レジデンス期間中、レジデントの別府さんは小さな作品をいくつか作っていて。作品を残してくれているがbi-がもらうべきかPARADISEがもらうべきか、わからないものとして存在している。

◉映像(デジタル)でアウトカムを残すこと
作品のスケールがないようにも感じるが、いつもbi-では写真や映像を大量に残していて、ウェブサイトのサーバーがもうパンパン。実体がないようにも感じられるが、物理的でないところで物量はあると思っている。

見えないものに注目していたい
目に見えない形/作品/仕事がどこにどう存在しているかはこれからも注目していたい。
PARADISE AIRがホスト側になっているとき、起きている仕事(空港の送り迎えや街の紹介など)やこのイベントの受付やおもてなし・・・仕事として見過ごされがちだが、無いと物事が回っていかないという仕事がある。

AIRがあるから生まれる関係性
様々な関係性が生まれるための枠組み=AIR内でAIRをする=bi- PARADISEだと思っていて、関係性を丁寧にみつめることが重要。レジデンス期間後にもレジデント同士のやりとりは生まれている。
レジデントでない人も、映像にたくさん出てきていたり、このイベントに参加していて、それが素晴らしいと思う。レジデント同士だけでなく広がっている関係性/つながっていくことがある。以前のbi-に滞在したひとが松戸までリピーターしてくれたこともまた価値。

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<星野コメント>
bi-への直感
これまでのbi-が開催された場所(シチリアとフランス)はエンリコとジェロームの親戚のお家。そこでのレジデントから新しい場所を紹介されてて3箇所目の新しいbi- 開催場所を得たという経緯があった。レジデントを通じて縁故のない新しい場所に感染的に広がるbi-が日本・松戸にくると聞いたことには直感がはたらいていた。
自分の拠点である金沢にbi-の3人を呼ぶことを決めたのは、金沢には別府さんが運営している芸宿というアートスペースがあって、ピースは揃った、という感覚だった。
=「bi-は感染するもの」のアイデアが日本国内/松戸以外で展開した。良い決断だったとおもう。

<長谷川コメント>
PARADISE AIRはフリーランサーのコレクティブによって運営されている、そのあり方が良いと思っているのだが、松戸だけにとどまらないといけない制約はないとも思っている。
bi-レジデントも同様に、日中バラバラに動いていて、夕食をともにする時には福島の原発の話やフランス・イタリアの社会状況など多岐にわたる深い内容が話されていた。
富山でおこなった展覧会の話。参加アーティストの希望に「迷子でありたい/あり続けたい」というものがあった。初日を迎えても、展覧会が始まっても、作品は出てこなかった(最後までやらないことの理由と整合性を一生懸命説得していた)。そのこととbi-PARADISEは対比的で、今年強い印象があった

bi-をするということ

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<エンリココメント>
AIRを運営するにはあれこれ考えないといけない。けれど、枠組みや自分の役割を考えていても、レジデントが能動的にうごくことで役割がかわり、新しい役割がうまれたりする。PARADISE AIRともホスト/ゲストの役割について話すことが多かった。PARADISE AIRのスタッフもヨーロッパにきて、bi-にホストされることを試してほしい。
自分のポジションにとらわれないように、お互いに受容すること、それが常に起こらないと生きづらい空気がうまれてしまう。これはレジデンスの中だけでなく、日々のわたしたちの生活で必要なことだと思う。

bi-の今後
3人の活動なので自分ひとりでは明言できないけれど。レジデントの中からレジデンスが発生していく、ということは起こりそう。
「bi-は個人が3人集まったグループ」ということはやはり大事で、グループとしての活動がどう展開していくか、更に広がるにはもっとフレキシブル(意思決定の方法が変わる?人数が増える?など)なあり方が必要かもしれないと思っている。

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(写真:加藤甫)

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