【しをよむ122】会田綱雄「伝説」——夜に生きるもの。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

会田綱雄「伝説」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

モノクロの繊細な情景。無音の断片。
「わたくしたち」の、「ちちはは」の、それから先祖たちの記憶。
湖の蟹を売って日々の糧を得、死ねば湖に沈んで蟹を生かす糧になる。
とてもシンプルな命のありよう。

「ちちはは」を食いつくした蟹は市場で銭になり、
その銭は一握りの米と塩になり、
その米と塩は、ちいさなくらい小屋で粥になり。

「父祖を食う」という行為は売買を通じて婉曲にされます。
淡々と描かれる営みはどこか空恐ろしく。
「わたくしたち」は蟹を食うひとをどんな思いで見送るのでしょう。
蟹と引き換えに手に入れた銭や、それらから得られる米に塩は、
ちちははの肉と見合う対価なのでしょうか。

粥をすすり、語らい、子供達を寝かせ、むつびあう。
「わたくしたち」のいのちは夜に剥き出しになるようです。

昼には「生業」の名のもとに社会・世間のなかでいのちをひたすら婉曲化し、
夜には自身のすみかで、生きることの直截を喰らう。

生きることの本質は夜に。湖の有機的なにおいに。戸を叩く風の音に。
人は産まれ、人は死に、また蟹が湖から上ってくる。
「肉体」がまさしく肉であることを静かに思い出させる詩です。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は新川和江「わたしを束ねないで」を読みます。


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