【しをよむ117】山之口貘「求婚の広告」——まだ見ぬどこかのすばらしいあなた。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

山之口貘「求婚の広告」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

正直なところ、この詩に書かれている漠然とした「結婚したい」という感情が、
いまの私にはピンときません。

特定の「この人」と一緒に過ごしたい、暮らしていきたいという思いから
結婚につながるのはわかるのですが。

ここで語られる「結婚したい」は「旅に出たい」「ていねいな暮らしをしたい」「出家したい」「水と空気がきれいなところで家庭菜園を作って羊を飼って暮らしたい」みたいな感情と同じ方向性で捉えてよいのでしょうか。
以前に読んだ詩だと「山のあなた」や「あいたくて」に描かれる形の見えない憧れ。

ただ、それらの憧れと違って、結婚は相手がいるから難しいですね。
現代なら結婚相談所やマッチングアプリなどが使えますが、
この詩が描かれた20世紀前半では、どんな手段があったのでしょう。
今よりずっと「家」の存在が強かったでしょうから、
本人の預かり知らぬところで縁談が持ち込まれたりしていそうなイメージがあります。
この詩「求婚の広告」も、当時の世間体への意識が背景に絡んでいるのかも。

うすぼんやりと「娘さんが知らない家に嫁がされる」話は知っているような気がするのですが、
そういえば男性側の視点はあまり知らない気がします。

結婚にまつわる価値観はどんどん移り変わっていって、
今現在もちょうど大きなうねりの中にあって。

異なる時代の異なる価値観をもつ「詩」を相手にとって
仮想のディスカッションをしてみたり、自分の価値観をいくぶん相対的に位置付けてみたりするのは、なかなか面白いものです。

21世紀の一読者としては
「さっさと来て呉れませんか女よ」というのは
ちょっと上から目線が過ぎるんじゃないですか男よ、いや、山之口貘よ。
と思ったりもします。
ここでいう「さっさと」は「颯爽と、風のように軽やかに」みたいなニュアンスだろうとは察せられるのですけれども。
演奏指示みたいな書き方の解釈になりました。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は茨木のり子「汲む —Y・Yに—」を読みます。

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