【しをよむ129】谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」——巨人の後の世界。

一、二週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

作者の伝えたかった意図とは異なることを承知の上で、
この詩に書かれた無常感が『進撃の巨人』と重なってずっしりした気分になっています。
執拗に繰り返される「他には何も残さなかった」は序盤の調査兵団や蹂躙される街を彷彿とさせますし、
後半部分は「巨人」の背景が明かされた時期からのパワーバランスや価値観がぐらぐら揺さぶられるところだとか、
解決はみたものの遺恨や今後の困難さを感じさせてやまない結末だとか、
決して「争いが終わってめでたしめでたし」ではない読み味を思い起こさせます。

この詩の前半は理不尽に奪われる命を記しています。
その中でも「死んだ子どもの残したものは」が心に来ますね……。
ただでさえ無辜の象徴であるのに加えて、「思い出ひとつ残さなかった」というのが。
両親のほか関わりのある人間がいなかったということですものね。
この「子ども」はもしかしたら4歳くらいで、平時ならば公園に通ったり友達と遊んだりしていた年頃では、と想像するとなおのこと胸が痛くなります。

第四連の「死んだ兵士の残したものは」だけ
「残せなかった」と不可能表現になっているのも辛さがあります。
平和のために、安心して過ごせる未来のために、と信じて身を捧げたはずの兵士たちを打ち砕くこの文。
『進撃の巨人』の第一話とか、調査兵団側から描かれる帰還とか……。

おそらくネタバレにならない程度に言うと、
『進撃の巨人』は過去から連綿と続いた遺恨を断ち切る過程で
新たな遺恨を生み出す物語といえると思っています。
生きている人間と今日と明日以外、何も残っていない……。

私は生まれてこの方、戦争やそれに類する争いが身近にあったことがないので、
特に詩の形で書かれた戦争を読み解くには、感情移入できるものを一段階かませる必要があるようです。
前回の『君死にたもうことなかれ』と『ゴールデンカムイ』も同様の関係性ですね。

人が描き、記したものは濃淡の差こそあれど、現実と創作が交じり合っていて、
それらを重ね合わせて遊んでみたり、新たな考えを膨らませてみたり、
はたまた生身を取り巻く世界を透かして見てみたり。
この「しをよむ」は、私の連想と抽象思考の過程を見せるものでもあるのかもしれません。

お読みいただき、ありがとうございました。
次回は川崎洋「なぜ」を読みます。

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