【しをよむ055】中野重治「歌」——私とは違う詩と歌のひと。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

中野重治「歌」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

「詩」が「歌」になる意味とは何なのでしょう。
言葉の意味とリズムに旋律を持たせる意味とは何なのでしょう。

この詩は、人々による「歌」の原始的な力を見せてくれるようです。
田植え歌、労働歌、軍歌、身近なところでは応援歌。
声を合わせて大勢で歌う、呼吸と体の動きを一つにする、全体のうねりに身を任せる。
何を歌うのであれ、単純な気持ち良さがあります。
家族や友人たちと "Happy Birthday to You" を歌うシーンがいちばんイメージしやすいかもしれません。
歌でタイミングを合わせて、最後にろうそくを吹き消す、あの盛り上がりです。

「歌」を実用する歴史の中で、使い方は大きく二つあるのかな、と感じます。
一つめは、身体の動きを合わせて働くための使い方。
たたら踏み、田植え、あとはソーラン節もそうかもしれません。
『アナと雪の女王』の冒頭に出てきた氷割りたちの歌(『氷の心』というタイトルだそうです)もですね。そういえば、ラジオ体操も……?
体を動かすのが不器用でも、歌があればリズミカルに動ける。
重松清の小説『きよしこ』では、吃音のある少年が歌うときなら滑らかに声を出せる、という描写がありました。
話はずれますが、リズムを覚えるための歌の使い方として思い出したこと。
心臓マッサージのときは『アンパンマンのマーチ』(♩=120) に合わせるといいそうです。

もう一つは、感情の動きを合わせて働くための使い方。
フランス革命の時の『ラ・マルセイエーズ』がいちばん象徴的かと思います。
最近ならスポーツチームの応援歌、オクトーバーフェストの『Ein Prosit(乾杯の歌)』などでしょうか。
ただの言葉よりもメロディーとリズムがある方が覚えやすいですから、
なにかのメッセージを心に刷り込む手段としても歌は使えます。
ふと思いついたのですが、歌は歌えるようになるまでにある程度練習がいるという点でも有効なのかもしれません。敵と味方を区別しやすくなりそうです。
ゴスペル、移民たちによる故郷の歌など、アイデンティティの拠り所としての歌も含まれるでしょう。

今回読んだ「歌」は後者の使い方です。
「たたかれることによって跳ねかえる歌」、「恥辱の底から勇気を汲みとる歌」を
「行く行く人びとの胸郭にたたきこめ」と主張します。
プロレタリア文学活動に参加した詩人による、1935年に発表された詩。
当時の空気がどのようなものだったのか、寡聞にして私は知りません。
けれどもこの詩を知ったことで、この頃の情報を知ったときには世相が色づいて感じられそうになる気がします。

話は変わりますが、私自身はこの詩とは対極に近い作品づくりをしていると気づきました。
「歌」で訴えられているのは、生活に根ざしたところから生まれ出る、具象の言葉。
私が書き、語るのは、どこか別の世界に潜って見つけてきたような、印象の言葉。
どこかから与えられたものを依代のように書いている……という感覚なのですが、
この文脈で見ると王権神授説っぽさがありますね。

自分の生活のひりつくような痛みから目を逸らさずに、わだかまりを吐き出すように書く人。
言葉と思考を与えられて、想像から湧いてくるものを汲み上げて写しとる人。
創作活動のうえでよって立つところはきっと各々違っていて、
ときには違うところに立っている人の姿勢や価値観にコンプレックスを刺激されることもあります。

私とは違う価値観で「歌」を描くこの詩から、
私は私の価値観で歌い、書くほかはないのだな、とかえって深く思い知りました。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は小野十三郎「葦の地方」を読みます。

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