【しをよむ009】宮沢賢治「雨ニモマケズ」——生と死と理想をまっすぐに見つめる。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

宮沢賢治「雨ニモマケズ」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

青空文庫での公開もされています。
宮沢賢治 〔雨ニモマケズ〕

合唱サークルで『混声合唱とピアノのための組曲「雨ニモマケズ」』(作曲 千原英喜)を歌ったり、
2016年には友人たちと3人で宮沢賢治ゆかりの地をめぐる旅行をしたりと、
思い入れの深い人物であり、詩です。

旅行の思い出は合同本『イーハトーブ紀行』にしたためていますので、
ご興味がありましたらぜひお手にとってくださいませ。
第8回 Text-Revolutions でお求めいただくのがいちばん早いかと思います。
3/21 (木・祝) 11:00-16:00、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催です。

突然の宣伝を挟みましたが、実際、宮沢賢治に対する考えや私の印象は
『イーハトーブ紀行』で書いた短篇『ひとりの師父へ』で
目いっぱい注ぎ込んだので、ここで何を書こうかと悩みました。

読み返して新たに気付いたのは、
身体的な感覚、肉体として存在する生命が強くまなざされているのではないかということ。
出だしの「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は「丈夫ナカラダヲモチ」に繋がり、
「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」では
生きるための大地に根ざした食事が語られ、
「東ニ病気ノコドモアレバ」から始まる一連では
弱い人を訪れて、顔を見て、体に触れて、言葉をかける。

中でも「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ」が
しみじみと心に残ります。
宮沢賢治は妹のトシを亡くし、自身も決して丈夫だったわけではなく、
命と一続きになっている死を深く見つめていたのでは……、と思わされます。
あるいは自然を見聞きし、農作業を営むうちに、
巡る世界の中では死は何ということもないものだと体感していたのかもしれません。

対して、「北ニケンクヮヤソショウ」がある時だけは、
ただ「ツマラナイカラヤメロ」と言うだけで、そこへ行ってはいません。
喧嘩や諍いは、その場に関われば自分も当事者になってしまう怖さがあるなと、ここでふと気がつきました。

この詩がここまで人の心に残り、広く親しまれているのは、
最後の「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」の力だと思います。
それまでの文章だけではただただ立派な理想論に聞こえてしまいますが、
この言葉で宮沢賢治の弱さやもどかしさや悲しみが流れ込んできて、
『雨ニモマケズ』が一挙に共感できる作品になります。

一方でまた、自分の弱さを痛感しながらもまっすぐに理想を見つめ続けられるのは、確かな強さでもあるとも感じます。

ちなみに、先述の千原英喜による合唱曲「雨ニモマケズ」は、
宮沢賢治が思い描いた理想を体いっぱいに響かせる、
とてもエネルギッシュで前向きな作品です。
こちらも機会がありましたら、ぜひお聴きください。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は北原白秋「落葉松」を読みます。

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