【しをよむ114】長田弘「言葉のダシのとりかた」——光と栄養が沁みいるように。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

長田弘「言葉のダシのとりかた」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

言葉と意味をえらんで、ていねいに過程を経てダシをとる。
そんなレシピのような流れで語られる詩です。

先日、カズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』を読みました。
善なる眼差しから語られるストーリーは
さまざまな形と色の鉱物でおはじきをするように、
ときに鋭く痛く、ときに澄んで輝きます。
語り手の人工知能クララは彼女なりの推論でお日さまへの「祈り」を捧げる。
その思いと行動は、読んでいる側としてはとても切ないもので、
だからこそ彼女とともに祈らずにはいられません。

その読後感がまるで、とてもおいしい御膳をいただいたようだったのです。
素材とお出汁の風味に心身が満たされたときの、ふっくりとした幸福。

カズオ・イシグロはどれほど繊細な手で言葉を削ぎ、磨き、織り上げてきたのでしょう。
彼の他の作品と同じく、日本語訳がまた素敵です。
「お日さま」と「太陽」の使い分け、品の良い語り口。
作者が料理人だとしたら、訳者は支配人なのかもしれません。
おいしい料理が気持ちよく食べられるように心を砕く。

今週の詩「言葉のダシのとりかた」よりも「クララとお日さま」の感想がメインになってしまったようです。

ちなみに、私が書く時の感覚は
海の底に潜ったり森の奥へ分け入ったりして、綺麗なものを取ってくるというのに近いです。
貝殻、きれいな石、どんぐり、外国のコイン、何かのネジ。
手の甲に降りた雪の結晶、視界の端の星の一粒。
五感を総動員して捜しにいく、その時間がとても好きです。

コトコトいい匂いのお鍋を見守るのも、お菓子が焼けるのを芳ばしさといっしょに待つのも好きです。
この詩に書かれているように、そんなふうに言葉に手をかけてあげるのも楽しそう。

「クララとお日さま」とこの詩を読んで、
滋味あふれる言葉はいいなあ、としみじみ感じているところです。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は岸田衿子「南の絵本」を読みます。


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