【しをよむ089】山村暮鳥「一日のはじめに於て」——眩しい。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

山村暮鳥「一日のはじめに於て」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

タイトルにも書きましたが、眩しいです。
清々しい朝日、目覚める自然と街並み。
「お早う」と朗らかに笑いあうひとびと。

日曜の夜に「明日からまた仕事か……」と肩を落としている身としては
「すみませんでした」と後ずさってそのままお家に帰りたくなってしまうほどの健やかさです。
まるで文学的ラジオ体操……。

目をしぱしぱさせながらも読み込みます。
曇りない朝の情景をとおして讃えられるのは、
「お早う」からはじまる人間の営み。
家族と、隣人と、同僚と、一日のはじめに交わすあいさつ。

この詩が発表されたのは1918年、今から100年以上も前です。
その頃から一日も途絶えることなく「お早う」が言い交わされてきたことを想像すると、
ほんとうに自分が100年の過去からひと続きの時空に存在しているのだと実感できます。
詩のなかで「お早う」がさらりと、今の感覚と乖離しない気軽さで語られているのがいいのです。

100年前の日常が100年前の言葉で語られて、
それを現在でもおなじ感覚で味わうことができる。
時代によって変わる価値観、変わらない価値観を感じられるのが
「読むこと」の面白さのひとつですね。

「朝」の詩つながりでいうと、谷川俊太郎の「朝のリレー」を思いだします。
「カムチャツカの若者が
 きりんの夢を見ているとき」
で始まる、あの作品。
今週の「一日のはじめに於て」と合わせると、
世界の様々な言語での「お早う」がさざ波のように地球をひと回りするようすが見えてくるような。

明日の「お早う」のために
今日はそろそろ「お休みなさい」を言うことにします。
ぐっすりと眠れますように。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週はコクトー(堀口大學 訳)「耳」を読みます。

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