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トラペジウム


インターネットで絶賛賛否両論中のトラペジウムを観た。

結果から言うと、めちゃくちゃおもしろかった。一方で咀嚼に時間のかかる作品で、予告や主題歌からのパッと見の印象とはかなり違う、しっかりと強度のある作品でもあった。なので感想と解釈を書いていく。当然、ネタバレあり。




どうしてこの物語は東という酷い人間を肯定するのか

この作品でモヤる点の一つが、東が最終的にアイドルになることだと思う。なんでこんな酷い奴が報われてアイドルになるんだ、と思う人がいるのも分かる。もっと言うと、この物語はこんなに酷い東という人間を肯定していておかしい!と思う気持ちもわかる。なぜなら、この作品は東を肯定しながらも、同時に嫌な奴として描いているからだ。

東は作中で意図的に性格の悪い、打算的で人を駒同然に考える嫌な奴として描かれる。それは、あまりにも露骨なボランティアのシーンや、メンバーの口パクで怒りをあらわにする東を見た社長の「やれやれ」という反応からも分かる。偶然性格の悪い主人公になったわけではなく、明確に意識されている。では何故こんな主人公にしたのか。


性格の悪さの裏に潜む魅力

それは、この物語が、東という人間が自身の性格の悪さの裏に兼ね備えたオンリーワンな魅力に周囲に気付かされる物語だからである。

本編を思い出してみる。

  • 東西南北が解散した後、東は自身の及ばなさに絶望する。そして、元々か、後から気づいたかは分からないが、東は自分の性格の悪さを自覚する

  • 北に会って、自身が東によっていじめから少しだけ開放されたというエピソードを聞かされる

  • 友人たちに、東のおかげで楽しかったんだ、という事実を告げられる

つまり、東の周りを気にしない性格が、嫌な奴であったのと同時に、周りを笑顔にもしていたということに、東自信が気付くのが後半の展開なのだ。

特にこのシーン、

東の「私ってさ、嫌な奴だよね」に対する「そういうところも、そうじゃないところもあるよ、ゆうには」という母のセリフがすべてを物語っている。

あらゆる物事にはいい面と悪い面が備わっているものだ。嫌なところも含めて丸ごと人間であり、丸ごと愛してあげるべきだ、ということは理屈では分かっていても受け入れるのはなかなか難しい。トラペジウムは、それを肯定する勇気を与えてくれる、素晴らしい作品だと思う。


アイドルのエゴ

そして、更に面白いのが、この二面性こそがアイドルのエゴそのものであるということである。周りを押しのける意地の悪さの裏にある、切り拓き、誰かを惹きつける魅力。これを東は分かっていたから、最終的にアイドルになれたのだと思う。アイドルの素質として語られるエゴというのは果たして一体何なのか、という問いに対しての一つの正解だと思う。

また、この作品を書いたのがアイドルだというのも面白い。モデルは自身なのか、同僚なのか、いないのか。いずれにしても、アイドルだから書けたのかなと思ってしまう。特に味噌汁のデティールは本当に意味がわからない。あれ、実体験でしょ。

どのような気持ちで書いたのかも気になる。アイドルの惹きつける部分、きれいな部分だけを見ている人に気付いてほしかったのか、自身の苦しみを物語に落とし込んだのか、あるいは憧れを書いたのだろうか。


語り手の不運

それでもなお、東の性格が受け入れられない人がいたら、それは、この作品の語り手が東であるせいなのかもしれない。我々は東がノートに計画を書いていたことや、計画がうまくいかなかった時に嫌な顔をしているのを知っているが、それはカメラがそこにあったからである。

実際にはボランティアの人や他の3人は、東の打算的なコミュニケーションには気付いていない可能性が高いし、終盤に和解できたことも考えると、意外と周りには性格の悪さが伝わっていないような気もする。

それに、エピローグが未来の東から語られていることを踏まえると、過去を振り返った自伝として、自身の嫌なところが強調されて出力されているとも考えられる。

っていうか、東ちゃん、性格悪い以上にポンコツなんだよな。打算的なクセに肝心なところで感情を出しちゃうし、そもそもノートだって目標ばっかで大したこと書いてないし。そんな必死さや愚かさもまた、アイドルとしての魅力なのかもしれない。


おわりに

いやあ、改めていい作品だなーと思いました。狂気とか怪作とか言う人もいますけど、個人的にはいい意味で普通の、ちゃんと面白い作品だと思います。

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