見出し画像

小説 しろがくにおいで 001 貧賤

 バスは、貧しい村に来ていた。
 バスとは、ある男性の学者の固有名詞だ。
 赤い外套を羽織り、緑の短いチョッキを中に着込んでいる。後は薄いベージュ色で、シャツもパンツもまとめている。何より細い目が笑顔のようで、おしゃれな狐さんと言えば、おうと答えるような男だった。
 当初から孤立していたとある村の川が決壊して、完全にひとりぼっちになったこの村を調査にやってきたのだ。
「荒れている……。誰も何も耕していない」
 バスは現状をかみしめるように、それでいて冷静に事態を見つめていた。
「あの川の決壊前からこんな悲惨だったの?」
 シーマは信じられないというような顔をした。白いソフトレザーの女の子だ。
「……知らなかったとはいえ、今の時代に思わぬ罪悪感を覚えましたね」
 ウィトーが心底という顔で首を振った。青い立派すぎるスーツを着ている。
と、苦しそうにもしないでぐったりしているやつれた男性を見つけた。
「……あそこにいるのは人ではないですか?」
 やせこけた男の人が木にもたれかかっている。今にも死んでしまいそうにピクリとも動かない。ウィトーは初めて生で見る現状に驚きを隠せないようだった。
「食料をあげてきます」
 ウィトーがたまらず駆け寄る。
「あげてきていいよ」
 バスはそう言った。
 男の人の顔に水をかける。はっと気が付いたところにスプーンで液体食糧をスプーンですくって口に近づけた。ありがたいがゆえに恐れ多い久しぶりの食事。恐る恐る口元にスプーンをあてがう。
「うまい……」
 パンをちぎってよこす。飢餓の男はゆっくりと味わって食べ始めた。
「失ったものは与えればよい。与えれば必ず何かがある」
 そうバスは言う。
「たとえば?」
 そうシーマが聞く。
「絆とかね」
 そう言うと、シーマはふーんと言った。
「ありがとう」
 男はウィトーにそう言った。

 豆腐と納豆が、全世帯に必要な分だけ配られた。
 美味しい豆腐を、笑顔で配るシーマ。バスもウィトーも、一緒にみんなに食料を分け与えていた。
「うん。うまいね」
「これが豆腐じゃなくてステーキだったらな」
「焼いてみようか?」
「これ、絹だよ?やめた方がいいんじゃない?」
「そう言えば醤油は?」
「用意してないよ」
「愛しの醤油よ、顕現せよ!」
「いや」
「そこをなんとか!」
「だめ!」
 そんな三人のやり取りを、村のみんながほろりとしながら聞いていた。
「仲いいね、君たち」
 そう村人が言った。
「あなたがたでもできますよ。言葉を溢れさせてごらんなさい」
 そうバスは答えた。
 一通り配り終えると、一同は休憩した。
「ああ、疲れた」
 シーマがほとほとにぺたりと地面に足を伸ばした。
「村人が全員で戸籍上は200人。向こう三日分一日三回の食事があったとして、食料は……」
 シーマが空を仰いだ後、ウィトーを見つめた。
「1800回分ですね」
 ウィトーは笑顔で答えを言う。
「大変だった……」
 シーマは改めて疲れを示した。
「川が決壊した原因を探しに行かないとね」
 バスが言った。パラパラと散らした暗めの赤茶色の髪がいい感じに整っていて、腰にはレイピアを携えている。
「国際同盟は何をしているの?深刻だったのに、何も手を打っていないなんて……」
 シーマが不快感をあらわにする。本来こう言ったことは、国際的な機関が行うべきものである。この世界には、国際同盟という、国連のような機関が存在して、世界をうまく統治していた。その国際同盟が、以下、国盟と略すが、村に調査団を派遣できないとバスたちのいる有名大学に言ってきたのだ。結果、彼らが動くことになったのである。
「何か事情でもあったんだろう。それより、今はこの村を何とかしないと」
 そのように、バスは気を取り直すよう他の二人に言った。
「早速この辺りの様子を調査しますね」
ウィトーがパソコンを取り出す。手際よくセッティングをすると、このあたりの地図がモニターに映った。
「ああ、上流から大量の水が流れています。これが原因ですね」
 ウィトーがすぐに原因を察知した。
「なぜそんなに水が……」
 シーマが疑問を呈した。
「ちょっと待ってください。……あれ、生体反応が」
 ウィトーのパソコンを見ると、川の上にちょこんとマークがついている。
「え?決壊した川から?」
 シーマはさらに疑問に思った。
「危ないな、助けに行かないと」
 ウィトーが心配する。
「よし、すぐに出発しよう。生存者の安否が心配だ」

「しっかりしなさいよ!」
シーマがウィトーを叱咤激励する。
「休みましょうよ……」
ウィトーは頭脳派だ。肉体派のシーマと違って体力はない。
「そんな強く生きられない人は置いていくよ!」
シーマが話をしながら休む時間を取る。
「そんなこと言ったって……」
ウィトーは気づいていないようだが。
「強く生きる、か」
バスが意味ありげな言葉をぽつりと言った。
「どうしたの、バス?」
シーマが質問する。その間、ウィトーは休憩の一時を得た。
「いや、強く生きるって、難しいことだよなと思って」
 バスがそう言う。始まった。バスは講釈を垂れると長くなる。
「そりゃそうだけど。強くならないと、正義は貫けないよ」
 シーマは付き合う。こういう時は付き合うようにしているのだ。
「うん。でも、そんなに強くないといけないのかな。そもそも強くなったら、弱い人間のことは忘れちゃうんじゃないかな」
 バスはそう言った。
「それは……。頑張って覚えているのよ。それも強くなるってこと」
シーマは強情を張りだした。
「それに、強くなっても、さらに強い人にどうやって打ち勝てばいいのか、わからないよね?」
バスはなおもそう言った。
「えと……。頭を使えばいいんじゃない?」
シーマが自身なさげにそう言う。
「まあ、そうか。そうかもしれないね」
そこまで言うと目的の地点にたどり着いた。
三人は、眼を疑った。
そこで見たのは、可憐な女の子が、川の上を立っている姿だった。齢の9歳程度の女の子が、白いワンピースを着て、濁流の川の上を、ブーツも履かずに、それどころか宙に浮いて、その可憐な姿をステージに立つかのように見せつけていた。
唖然とする三人。女の子は語りかけてきた。
「我は水の神。我と契約せぬか、人間」
「本当に……女神なのか……?」
「トリックじゃないかしら」
ウィトーとシーマがそう言って動揺する。バスはその中、こう言った。
「女神さん。僕たちがいい場所を探してあげるから、ここから去ってはいただけませんか?」
即答だった。
「いい場所?どこのことじゃ?」
そう質問する神を背中に、ウィトーとシーマがバスと作戦会議のように陣を囲む。
シーマが落ち着きながら発言した。
「ちょっと、相手もわからないうちにそんなこと言っていいの?」
「神様なんだろ?」
「わからないじゃないの!」
「どっちにしろ相手は自分を神だと言っている。なら僕の回答は簡単だ。離れたところでお互いに見守る」
「少しは考えないの?」
「考えたよ。仮に神だとするなら、彼女はこの川を結界させた張本人だ。危険だから一緒にいるわけにはいかない。仮に人間だとするなら、彼女は安全なところに避難させないといけない。結果としていい場所を見つけて遠くに安置したほうがいい」
「……頭回りますね、バスさん」
ウィトーは感心した。
「伊達に勉強していないよ、ウィトー」
ここまで話すと、みんな女神の方に向き直った。
「ご案内しますので、少々お待ちを」
そう言うと、バスは小鳥をチュチュと呼んだ。すると、うんうんと話を聞くように、小鳥のさえずりに耳を傾け、そののち小鳥の枝から枝への案内について行った。バスはしろがくの学者で、同伴生物学専攻だ。准教授である。生物と一緒に暮らす社会を研究している。

そう言って、彼女のことは遠くの野生のリンゴ樹林に連れて行った。ウィトーが調べたこの近くの山を探って見つけた場所だ。
不思議なことに、彼女はそこまで来ると、おいしそうなリンゴと言いながらゆっくりと姿を消した。そして代わりに指輪がそこにあった。ウィトーが調べると、そう言った水の神の確認例がこの世界には存在した。魔力反応を見ても指輪もどうやらマジックアイテムのようだ。水の指輪ということだ。どうやら本当に神様だったようだ。少なくとも三人はそう納得できた。
「でも、契約しなくて良かったの?」
シーマが質問した。
「なんで?」
バスが質問し返す。
「契約すれば、このあたりの地は潤うことになったかもしれません」
ウィトーがそう言った。
「いいよ。そんなの。人間のことは人間が決めればいいよ」
「でも……」
シーマがそう言う。
「人間は神の力に、もう頼らないようにしていった方がいいと思うよ。むしろゆくゆくは神様と友達になってほしいくらいさ」
「そんなことできるの?」
「そう言う気持ちでいた方がいいということさ」
ふうん、そんなものかなあとシーマは思った。
「穏便に実力者と事なきを得ましたね」
ウィトーが嬉しそうにそう言った。

「ご苦労様。よくやってくれたね」
そう国際同盟の役人は言った。
「……何を優しそうなことを……結局全部私たちがやったんじゃないのさ……」
シーマが憎くつぶやく。
「どうかしたかい?」
役人は心ばかりの気づかいをシーマに見せた。心ばかりの。
「いえ……。お疲れ様です」
三人は深々と頭を下げた。
「なんで私はごくろうさまって言っちゃいけないのかしら?それだけで腹が立つわ」
シーマは正当性を口にした。
「まあまあ」
バスがなだめる。
「なんで国盟の到着が遅れたんですか?」
ウィトーが至極当然の疑問を口にした。
「さあ?なんでも、書類の伝達が遅れたためとか」
バスがそう言う。
「ふざけないでよ!みんな助けを求めていたのに、資料不備でもたついたの?」
シーマが憤慨する。
「落ち着いてよ。丸く収まったんだしいいじゃないか」
「なんであんな奴らにお金が集まるのかしら!バス!悔しくないの?」
ちょっとの沈黙の後、バスは口を開いた。
「たいそうなことやらなくても、褒められなくても、別にいいよ。だって僕は十分な食事と会話できるみんながいるからね」
「バス……」
シーマは、何か言いたくなったが、今日は黙っておくことにした。
シーマはこう言ったが、彼らの大学は、天下の大学であった。
 縁の下の力持ち。国盟より巨大な組織、しろがく。それが彼らの勤める学校の名前だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?