察する力


どうも人の気持ちを考えすぎてるっぽい。

自分の思いを押し殺してるか、考えてるか、我慢する方っぽい。

自分では割と自分勝手に生きてるつもりで
自己中な人間だと思っていた。
人の気持ちなんて全然、
もっと気をつかえたらなと。

でもどうやら
大人になってから
問題にぶちあたって解決しようとする度に
我慢しすぎていることが
問題っぽいとわかった。

カウンセリングでもいわれた。

人間関係、多少は我慢は必要、それでもあなたの我慢は範疇を超えてる。

それでいい事があるのか?
人間関係は少し円滑にいくかもしれない。

でも、私はそのままで幸せになれるのか?
私に1番近い私が
私の意見を無視して
私を幸せに出来るのか?
そんなわけない。

人に自分のして欲しいことを
はっきり伝えよう、
察してちゃんで終わることのないように。

それを肝に銘じるようになった。

なにかトラブルがあれば
ああ、また我慢しちゃったのかな、
もっと素直にはっきり
自分の気持ち伝えておけばよかったのかな

だから
思ったらすぐ伝える努力をした
できる限り遠回しじゃなくて
ストレートに伝えようと。


でも…

とくに、

それをして、いい事なかった。

自分が、周りに対してはっきり意見を伝える努力や、自分が我慢している時に気づいて相手に伝える努力…………………
そんなもの、いらない。

そんなことより
私が我慢せずにすむ環境が大事だった。

そもそも我慢が必要な環境に身を置いて、自分がこれに我慢してるなんて声をあげなきゃいけない必要はない。

優しい人といて
ストレスになったことはないじゃないか。
細かい配慮のある頭のいい人といて、
我慢しないように努力しなきゃと
苦しくなったことはないじゃないか。
そういう人といて居心地がいいなら
その人たちを大切にすればいい。

自分が察する能力が高いから
人にも同じように求めるようです。

自分の事を卑下せずに
自分の優しさを信じて
優しい相手を選べばいいじゃないか。

自分の気持ちは分からないだろうと相手に配慮して無理に物言いを変えなきゃいけない人とは離れて、自然に私の気持ちを考えてくれる人と一緒にいればいいよ。

本当に人の気持ちを考えすぎていて
本当に思いやりが深い人間には
到底およばないと思うけれど、
それでも
自分と同じ程度、
人の気持ちを察することのできる人間
というのを見極めていく必要は
あるのかなと。

自分を正しく知ることの大切さ、
相手を知ることで自分がわかるということ、
もっとはやく知りたかったな。

察してちゃんでいいじゃん、
私もあなたの気持ちを察するから
あなたも私の気持ちを察して
でいいじゃん、そう思う。

低い能力に合わせなくていい。
私は人の気持ちを考えるままでいる。
考えないあなたは考えない人たちと
うまくやればいい。
私は違っててもいいから人の気持ちを考えてくれる人と生きていく。

もう苦しめなくていいよ本当に、これ以上、自分を。

世の中には、こんなに、
相手の気持ちを考えない人がいるんだって、大人になるまで知らなかったんだよ。
人の気持ちを考えるなんてそんなこと、当たり前だと思ってたんだよ。むしろどうやって考えずに察することなく生きていくんだ。


察してちゃんは察する能力がある。
察してちゃんを疎ましく思う人は察する能力が劣っている人。
そうじゃないだろうか。

人の気持ちを考えることは苦じゃない。
考えない方が苦しい。

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