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野生の芸術家たちへ

友人への誕生日祝いのお手紙。
こういうこと考えている人、実は沢山いたりして。

これは2020年の後半に思ったこと。

コロナ禍で音楽や演劇などを主とする芸術家の皆さんが、
興行収入が断たれて大変だとニュースで見たとき
そもそも芸術とは商業が主体ではないと考えていたので、
かなり違和感を覚えたことが、今も印象に残っている。

何故わたしは変だと思ったんだろう?

芸術作品とは、才能だけで作られた物ではない。

制作する人の息遣いや、作品への眼差し、肌触り、
人の温かみさえ感じるような瑞々しい生命力、
あるいは生々しい情念や凄みを感じる創作物

終わりの無い螺旋階段を上昇していくように
自分の持てる全てのリソースを費やした試行錯誤を経て、
偶然を超えて奇跡のように造られたものだからこそ

私たちは感動し、心の深い所で共鳴する。

そうして生まれた作品だけが、どれだけお金を払っても、
我が物にしたい欲望を抱かせる

それが芸術作品だと思っていたから。

お客様に、自分たちが作るものやサービスのメリットを
実物より強烈に感じてもらい、その対価を最大化する。
おおむねそんな感じの動機づけで作られた、
工業製品的なアートの世界と、リアルな芸術家の営みは…

全く別の種類のもの。

原価がそんなにかからないなら
お金はそんなに払わなくても良いよね。
コスパが良ければ良いじゃない。

そういう捉え方をする人も居るし、
私はその考えを否定するつもりは毛頭無い。

ただ、本物の芸術作品の価値がお金で計れない事に、
工業製品のように育った人間には理解できないのだ。
とは思う。


芸術について思うとき、私はいつも貴女のことを思い出します。

私たちはやっぱり野生の芸術家な気がする。

もう10代のようなフレッシュさ、凄まじい熱情は持ち合わせていない。
だけど熾火のように、心の底の方に「何かやってみたいこと」を温めている。

勝手な妄想かもしれないけど、貴女と私はどこか根深い部分で、
同じ水源を汲んでいるような気がする。

成果物についての外的な評価を気にせず、毎日こつこつと小さな試みを続ける。
何になるかはよくわからないけど、何か創作せずにはいられない。
私たちはそういう種類の生き物な気がする。

何かしら物を作ることはエンドレスの学びで、芸術で、
ある種の信仰のようなものだと思います。

一つひとつは取るに足らないように見えるけども、
それらがいつか、私たちをどこか遠いところまで運んでくれることを
私個人は信じています。

また都内某所の居酒屋で、コロナ前の続きから
長いおしゃべりができる事を、本当に心待ちにしています。



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