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トム・マスティル『クジラと話す方法』

ホエールウォッチングの最中にブリーチングしたザトウクジラが上から降ってきたものの、奇跡的に無傷だった著者が、「クジラはあなたたちを避けてくれたのかもしれない」と知人の研究者に言われたことをきっかけに、取り憑かれたようにさまざまな研究者たちをたずね、クジラをはじめ動物とのコミュニケーションを探っていくもの。後半ではAIが飛躍的に研究を推し進めていく様子も描かれる(もちろん、その不気味さは拭い難くある)。

著者はもともと生物学者なので、語り口は禁欲的である。人間中心主義的な世界観から解放された時、いかに豊かな生きもの同士の交歓へと開かれていくのか、そのとば口に立った本だとおもった。わくわくさせられる。動物たちをヒトの方法論に強引に引きずり込むような従来の研究の数々からしておもしろいのだから、これからの新たな研究はもっとおもしろいに決まっている。

解剖中に皮を剥かれたヨーロッパオウギハクジラのひれ足の写真(79頁)がよかった。クマを解体しているところなんかを見ていてもそうだが、ひとたび皮を取り去ってしまうと、妙に人間めいて見える。神話で毛皮を脱ぎ捨てた動物たちの姿が人間そっくりなのは、つまりそういうことだ。

「イーデンのシャチ」、オールド・トムの逸話も、神話的な人とシャチとの共生関係の無惨な終わりを物語るものだった。人間中心主義を脱ぎ捨ててのち、人はどのようにして新たな神話を紡ぎうるのだろうか、ふとそうおもう。

死んだライオンの気管に空気を送り込むことで、失われたはずの咆哮を招ぎ寄せてみせるくだりや、鳴管という二股に分かれた発声器官によって同時に異なるうたを歌う鳥たち、サンフアン島沖で鹿と泳ぐシャチなど、軽く触れられただけの話も非常に印象深い。鹿もまた、古くからその特異な声と耳に人が関心を寄せてきた聖なる生きものだった。声、声が気になってしかたがない。

それから少しだけ「崇高」が話題に上ったのも興味深かった。「崇高」について考える時、いつもウィリアム・ギブスンの「辺境」という短編のことを思い出す。あるいは『ドゥイノの悲歌』を。「美は怖るべきものの始めにほかならぬ」。人はもっと打ちのめされなければならない。


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