ちゃんの看護人

小学生の頃通っていた塾の国語のテキストは、結構変な文章を使っていることが多かった。山下明生「親指魚」とか山川方夫「夏の葬列」、福永令三「赤信号のなみだ」(『クレヨン王国なみだ物語』)なんかは強烈すぎてたぶん一生忘れないだろうとおもう。そのなかに「ちゃんの看護人」(デ・アミーチス『クオレ』)があった。

「母をたずねて三千里」でおなじみの『クオレ』の挿話なのでまあそんな感じのけなげな子どもの話なんですが、問題は訳である。ちゃんて誰だよという感じだが、父親の意味の俗語である。「(お父)ちゃん」ということはわかるが、じゃあお母ちゃんはちゃんじゃないのか。釈然としない。たぶんあんまり訳語として採用されやすい言葉でないことは確かだろうとおもう。じっさい岩波文庫では「おとうの看護人」となっているし、これが『クオレ』だと気づいてから各社のものを見かけるたびにチェックしていたが全然同題のものはなかった。というかそもそも底本はいったいどれなんだ。

というわけで地味に10年以上底本をなんとなく探していたんだけど、とうとう見つけてしまった。たまたま近所のあまり行かない地区に散髪に行ったら、すぐ横に古本屋があることに気づいた。まあ誰でも古本屋があったらとりあえず入るとおもうんだけど、おれもふらふらと入ったわけです。昭和で時が止まったような古本屋で、戸口のあたりに「三冊二百円(一冊百円)」と書かれた棚があり、背が焼けて埃でベタベタした本が並んでいる。そこに学研の少年少女文学全集が何冊か差さっており、なかば無意識に『飛ぶ教室 クオレ』の巻を手にとって目次を確認していた。そう、底本はそれだったのである。学研か! ちょっと欲しかったがドロドロの本をカバンに入れたくなかったので、ひととおり店内を物色して帰った。砂子屋書房版の『異人論序説』があってちょっと欲しかったが我慢した。文庫持ってるし。でもあっちは装画が堀浩哉なんだよな〜〜 要は長年の疑問が解決してすっきりしたってだけの話である。

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