クリスチャンの科学者が考える宗教と科学

 「宗教と科学は相反する」的なお話を聞く度にもやもやしていたので、クリスチャンの科学者(の端くれ)がどう考えているかを書きます。タイトルが大きすぎましたが、全宗教を代表することはできません。以下は一人のプロテスタント信者目線のお話です。最後の「クリスチャンにとって科学とは」が一番言いたいことなのでこれだけでも読んでね。

「聖書は科学的ではない」について

 特にやり玉に挙がるのが進化論について。科学の立場から見ると進化論は非常に面白い考え方でいろんなものの説明がつくものではあるが(私自身はとても好きな考え方です)、決定打に欠いているのも事実である。獲得形質の遺伝、生物の発生、単細胞生物→多細胞生物への進化、中間種の化石等々。最新の知見ではこれらの説明に突破口を開けようとするものも出てきて非常に面白いが(中には聖書的な結果が出ている論文もあるよ!)、最後に問題となるのは時間である。「なが~い年月をかけて生物は進化してきた」というのは、この良くできた進化論を説明するための切り札になっている。とにかく時間をかければ理論通り生物は進化するのか、それとも何者かの力が必要なのか。後者の考え方を否定しきるのは難しいのでは?(皮肉なことに悪魔の証明チックではあるが。)どこまでが偶然(時間による解決)でどこまでが神の直接的な介入だったのか、進化論の話題については非常に興味深くアンテナを張っている。

宗教アレルギーについて

 (多分特に)日本人は宗教アレルギー、宗教嫌いバイアスが強い人が多い。聖書は宗教のものだから間違えているといった意見を持つ人が多くてまあまあ悲しい。世界史の授業で習うカトリックの大失敗(今はまともな人がほとんどだよ)のネガティブな印象が大きいように思うが、あれはクリスチャンから見ても大失敗で、昔のカトリックの教えは決して聖書的な物ではなかった。一方で聖書が正しいという考え方は信仰の問題なのでノンクリスチャンの方に押し付けようとは思わない。だけど、例えば創作と考えている人が多い「古事記」にも真実が含まれているのでは?と考える人は多いのではなかろうか。世界の始まりについてが書かれている創世記がモーセの時代まで口伝で残っていた様々な話を取りまとめたものだとすると、世界の始まりとか生物のスタートにより近い人の話も混ざってそうじゃないですか?

ちょっと脱線。クリスチャンを科学でイジメたい人へ

 クリスチャンを科学でイジメたいあなたは、以下の質問はしないようにしましょう。
 「神が創ったとか非科学的。」→クリスチャン的には「神が創ったこの世界を追及するのが科学」なので、この指摘は筋違い。
 「神が創ったとかロマンチストな~。」→クリスチャン的には「何億年もかけてってとかロマンチストな~」って感じ。
 「創造論の証拠は?」→創造の証明ってのは「ある時代で突然ある種の化石が見つかった」っていう状態のことで、これは文字通り悪魔の証明。
 クリスチャンだからバカにするんじゃなくてお互いの目線から世界の真理を追い求めるのがいいんじゃないですかね。一種のダイバーシティだと思います。(悲しいことに後述のバカのせいで相手にされないことが多いのは理解していますが。)

さらに脱線。科学を知らないのに科学を語りたいクリスチャンへ

 科学を知らないクセに変なこと言うから、ちょっと頭のいいノンクリスチャンに非科学的だとか言われるんです。残念ながら、科学を知らないのに聖書で科学を、科学で聖書を説こうとする牧師もいます。クリスチャンの私でも「それは科学ではない」と遮りたくなるような酷い話をする先生もいらっしゃいます。「聖書が科学的に説明できる」という信仰は素晴らしいとは思いますが、浅い科学リテラシーがノンクリスチャンのつまずきになり得るということは肝に銘じてください。

クリスチャンにとっての科学とは

 一言で言うとヲタ活。大好きな漫画があったとしたら、「あのシーンのあのキャラのあの表情が~」とか「このシーンはあのシーンの伏線になってる」とかいろいろ探りたくなりますよね。設定資料集とか読み漁りますよね。その漫画の世界のすべてを知り尽くしたくなりますよね。大体そんな感じです。(ちなみにこのノリで行くと、小説とか映画とかって「二次創作」なのかなぁ。)

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