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頭の中の整理2。

なにがおきたのか


先日、僕のTwitterのTLに、また可燃性の高い話題が上ってきた。
当該のお話の元ツイについてはこちらでは貼らないので、興味があればご自身で探してみてほしい。

燃えた内容としては、性的コンテンツ(とこちらでは表記する)の出演を生業とする女性が、バレエ教室の講師を務める教室にその件を知られ、次月の講師としての指導担当日が全くなくなってしまった。

教室の中での疎外感を感じる。

といった内容で、Twitter上でもかなり賛否が分かれていた。
ざっくり分けてしまうと、擁護側の主張はやはり「差別だ」というところにあり、否定側の理由は、「子どもをそんな人に預けられない」というもの。

この話を目にした時に、僕の中ですぐには消化しきれない感情というか、「頭では正しいと思うけど、なにかひっかかる」ものがあって、それがうまく言語化できなかった。

普段の僕の主張に沿う考え方であれば、「これは差別ではないか?」「性的コンテンツの出演者やセックスワーカーに対する解像度を上げる必要があるのではないか?

となるはずだったが、どうももんにょりする。
というのも、肌感覚としてはそういった属性を持つ人に自分の子どもを預けることを忌避してしまう感情の方も理解できてしまう僕もいて、自分の中での板挟みが生じていたからだ。
どうしてだろう? うーん……。
ともやもやしていた時に見かけたのが、以下のツィートだ。

私見

要はこの件に関する僕のモヤモヤの原因は、「混ぜてはいけないものを混ぜてしまっている」点にあったのだと気づいた。
性的コンテンツに出演することも、セックスワーカーとして働くことも尊重されるべきだしそれによって差別されることはあってはならない。
しかし、「見せるべきでない層」「まだその世界に触れさせるべきでない層」にある子どもを、その世界に身を置いていることをあえて開示し、あまつさえそれを売りにして活動している人に預けることは、抵抗があって当然なのではないかと、僕は思った。
それは「差別」ではなく「棲み分け」の問題。

前回のエントリですこし触れた「ゾーニング」の問題だ。

当該の女性が性的コンテンツの出演者としての自分とバレエ講師としての自分を完全に分けて、棲み分けて活動しているのであればまだここまで燃えなかったかもしれない。
この「棲み分け」は、成人向けのコンテンツや性的サービスに関係する人は、等しく持っていなければならない感覚ではないかと個人的には思っている。
ここがしっかり保たれていないと、見たくない人、触れたくない人に影響があるばかりでなく、性的コンテンツ業界や性的サービス従事者や、それらを愛する人たちへのヘイトも高まってしまい、誰も幸せにならない結果になる。
存在することは悪いことではないが、明確に年齢制限されている性的コンテンツや性的サービスの情報は、選択的に「みたくなければ見るな」ではなく、「見せるべきでない・見せてはいけない」層がいるものだ。

ただ、もう一つの問題として、「知られたくないし、開示もしていないけれどバレる」というパターンもある。
性的コンテンツに出演した女性が、その世界から他の仕事に身を転じたときに、かつて出演した作品から身バレしてしまう、セックスワーカーだった経験を持つ人が、どこからかその経歴が漏れてしまう、それによって現在の生活に不都合が生じてしまう。
これは、往々にしてある問題だ。

私見を述べる。
まず、顔出しで性的コンテンツに出演していた人たちについては、これはもう防ぐ手段はないと思う。
理屈とか感情のレイヤーではなく、そのコンテンツが世に存在して、流通してしまっている以上、完全にバレることを防ぐことはできないし、厳しいようだが、それは織り込み済みで決断したはずだ。
もし契約の段階でそこに思い至っていなかったとしても、その人が成人で、認知判断能力に問題がない状態で契約書に判を捺したのであれば、もうどうしようもない。
「忘れられる権利」はもちろんある。
しかし、「忘れていない人たち」は、どうしても存在してしまうし、それを止めることもできないと思う。

セックスワーカーについては、並行して性的コンテンツへの出演等を行っていないのであれば、店のHPや紹介サイトに掲載されている画像についての削除義務は、運営側にあると思う。
契約が切れた段階で店側が速やかにそれを履行する義務があるはずだが、こういったお店は在籍数の水増しのために辞めた女性の情報を残したままにしているパターンもある。
これについては明確に店側に問題がある。

「全部のせ」して大丈夫?

このたったひとつの事象のなかでも、これだけ心と脳が動いた。
今回の事象を俯瞰してみたときに感じてつぶやいたのが、以下のツィートだ。

自分一人の中でさえ、考え方や立場、感情によって、その時々でグラグラと立ち位置が歪む。
朝令暮改なんてもんじゃなく、瞬間瞬間でさえ変わっちゃう。
人の意見なんてものは、そのくらい不確かなものだと思う。
明確に「こっち」という位置にイージーに立っちゃうのって、それ本当に大丈夫なやつ?

Twitterの悪い点として、そのカジュアルさゆえに脊髄反射で意見として固まっていない「おきもち」をツィートしてしまう危うさがある。
そして140文字では、やはり真意が伝わらず、ディスコミュニケーションが発生しやすい。
特に可燃性の強いネタについては、自分にも引火して火だるまになる可能性もある。

これからこの手のネタは、よく考えた上でnoteで扱っていこうかと思う。
休眠状態にしておくには惜しい程度にはフォロワー様に恵まれているし、せっかく育てた「場」を使わないでおくのはもったいない。

これからちょくちょく浮上してくるかもしれないし、しないかもしれない。
フォロワー様方におかれましては、ゆるゆるとお付き合いいただければと思います。

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!