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頭の中の整理4

昨日からTwitterのTLが表示されないというFF様のツィートが散見されるようになっていたのだが、今朝になって理由が判明した。
どうもAPI制限によるもので、無課金ユーザーは1日600ツイートしか見ることができないということだ。
本来ならこのようなネタは普段Twitter上で扱っているが、なにしろそのTwitter自体に規制がかかるわけで、無駄にTL汚しをしてFF様方に負担をかけるわけにもいかない。
というわけで、また「おきもち」を書かせてもらうことにした。

このエントリを執筆している2023年7月2日、午前8時43分現在、この閲覧可能件数は1,000件まで緩和されたようだが、ツイ廃を舐めてもらっては困る。

TwitterBLUEに登録すれば1日6,000件まで表示可能ということだが、TwitterのTLに表示される件数ということなのであれば、僕のように一日中TLに張り付いているようなツイ廃がダラダラツィートを見ていれば、割とすぐにカンストになる数だ。
その件数に広告まで含まれる(んだろう、おそらくは)のであれば、実質的な数はもっと減る。

拡散力=ユーザー数

僕のようなツイ廃ではなくても、日常の情報収集ツールとして、交流の場としてTwitterを使っている人は多いはずだ。
Twitterは緊急時の情報ツールとしても身近なものである。
たとえば地震があった時に、昔ならNHKをつけていたが、今はTwitterのTLを見るという人は多いのではないだろうか?
また、東日本大震災の際は、情報ツールとして、安否確認ツールとして、大きな役割を果たした。

情報発信のハードルが低く、それによるノイズやデマ(故意にせよ過失にせよ)の拡散、バカッターの出現などの問題もあるが、その拡散力の高さこそがTwitterの最大の利点でもある。
「ツィートを600件に制限する」ならまだわかる。
しかしTLが全く表示されなくなるというのは、情報発信・収集ツールとして致命的だ。
拡散力の高さは、ユーザー数の多さとイコールの関係にある。
ユーザー数が多いからこそ、拡散力が高いのだ(進次郎構文)。
今回の改悪(と言わせてもらう)が一時的なものでなくなるのであれば、情報発信・収集ツールとしてのTwitterの存在意義は、かなり落ちる。
これは、Twitter社、ユーザーの双方にとって不利益にしかならない、誰も幸せにならないヤツなのではないだろうか?

個人的にはこれまでの変更も、
インフラの維持のためにもっと収益が必要だ→広告を増やそう
というのは、許容せざるを得ないと感じたし、
もっと収益が必要だ、課金勢は投稿文字数増やせるようにしようず。
無課金勢はいっぱい広告みてね(TwitterBLUE)
というのも、まあ仕方ないかと思った。

しかし今回の改悪(と言わせてもらう)はダメだ。
「使いたかったら金払えばいくね?」
と考えているのであれば、少々自分達がもつ事業の重みを過小評価しすぎている。
Twitterはもはや、インフラであり文化だ。
そしてなぜここまでTwitterが浸透したのかといえば、それは無課金で利用できるものだったからだ。

「文化」は誰のものか?

重ねていう。Twitterは文化だ。
情報拡散・収集ツールとしてだけではなく、文化も醸成しているのがTwitterだと、僕は思っている。

海外のことはわからない。
あくまで日本の1ユーザーとして、肌感覚でそう感じるというだけだが、そう考える人は少なくないはずだ。

Twitterは、さまざまな使われ方をされているツールだ。
企業アカウントならば自社のサービスのPRに使っているし、自分の作品のPRの場として使っているクリエイターも多数存在する(僕もその末席にいる)。
そして、日本では、Twitterならではの楽しみ方も存在する。
タグ祭りや大喜利だ。

人気アニメ、「機動戦士ガンダム 水星の魔女」が、本日最終回となる。
毎週楽しみにしていたが、この作品が跳ねた理由の一つに、リアルタイムでのハッシュタグ付きのツイートと、それによるトレンド入りが大きな理由の一つであったことは間違いないだろう。
放送後は #水星の魔女とその関連ワードが軒並みトレンド入りした。

僕自身、水星の魔女をリアタイしながら、実況ツイートをするのは楽しかった。

こういうムーブメントは、少なくとも現状、他のSNSやWebサービスからは起こっていない(少なくとも僕の観測範囲内では)。
日本ではかつて、2ch(現5ch)がそれに近い役割を果たしていたが、雑多な価値観や趣味嗜好を持つ人たちが交わることで、新しい発見や新しい文化世界に触れることができるTwitterの仕様と、基本的に同じ趣味嗜好でしか繋がっていない掲示板とでは、そもそも母数が違うから拡散力も桁違いだし、オープンであるからこそさまざまな層にリーチできる。

普段アニメを見ない人たちが「なんだろう?」と興味を持つ。

時事の情報に疎い人が、自分に関係のある看過してはいけない情報に触れることができる。

現実の日常の中では絶対に出会えない人たちが出会い、ムーブメントを起こしていく。

遠く離れたFFさんとも、「おはよう」、「こんなことがあったんだよ」、「こんなものをみつけたんだよ」と、なんでもない雑談ができる。

こういうことができるのは、やはり現状はTwitterなのだ。

優れたサービスやツールに対価が支払われるべきであるという考えには大いに賛同するところだが、ユーザーに直接対価を求めるやり方ばかりが収益を得る方法ではないし、そのやり方が悪手になるパターンは、現在では往々にしてあり得る。
Twitterの改悪は、まさにこのパターンではないだろうか?

もっと語りたいことはたくさんたくさんある。
でもあまりに文字数が多くなりすぎても読む人には苦痛だし、今回はスピードを大事にしたいので、今回はここで締めさせていただく。
最後に一言。

イーロン、マジ考え直せ!

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!