江古田リヴァー・サイド60

「尹、呂大人にナンの用カ?」
「んー、込み入った話www」
「冗談ダメ! 尹、モウ危ナイコトヤメて!!」
「一琳、呂大人は別にアブナイ人じゃないよー?」
「アブナイ! 呂大人、ピンではダイジョブ。でも、尹とはマゼルナ危険!!」
「塩素系漂白剤と酸性洗剤じゃないんだから…...」

 何故だろう? と不審に思い、オレは尹さんに尋ねる。

「いや……そこまで会いたいなら、別に一琳さんに頼まなくても、尹さんソロで行ったらよくね?」

 尹さんは頭を振り、言う。

「そうしたいのは山々なンだけど……呂大人、定住先がないんだよねぇ……定期的にこの店に来るから、そのときにつかまえるしかなくてね……」
「携帯は?」
「持ってはいる。けど、まず出ない」

 茉莉花茶を飲み干したケイタが、ワクワク感丸出しで口を挟む

「何! 何! 闇社会のドン的な? “Black Coast”のヤンさん的な!?」
「いや、夢を壊して申し訳ないけど、華僑はマフィアじゃないから……呂大人は、単にこのあたりの中国人のネットワークの長に過ぎないよ。ツテとコネは無数に持ってるけどね」
「なーんだ。二丁拳銃(トゥーハンド)でばっこんばっこんヤっちゃう感じじゃないんだ」
「残念ながら、ね。一琳、呂大人が来たら僕の携帯に……」

 ギィ……
 脂と錆にまみれた蝶番を軋ませ、餐館の扉が開く。

「あ〜いに〜♪ ぬーれーるー♪ こーとばー♪ ひーとつー♪」

 熱唱。しかもそこそこ上手い。70年代に一世を風靡した竹川千里のヒット曲、「永い昼」だ。
 入ってきたのは、結構な歳の爺さんだ。突然の闖客に全員が呆気に取られていた。

 スキンヘッドにサングラス、数十年前にタイムスリップしたかのような紫のペイズリー柄のシャツ。ハイウエストのパンツは今時何処で買ったのかという程にダボダボで、更にダメ押しに、足下の靴はエナメルだ。完全にバブル時代の竹川のスタイルのコスプレになっている。顎髭は殆ど白く、そこだけは年齢を感じさせたが、サングラス越しの眼は意外な程に無邪気で、小さな子供のようであった。

「な〜→がーーー↑↑↑い→ーーーー♪ ひーるーをーーーーーー♪」

 ハイトーンボイスでサビ部分を唄いながら、爺さんは尹さんの側へツカツカと歩いてきた。

「のーりーこーえてーー♪ いこぉーーーー♪」

 尹さんの背後に周り、背中に抱きついた。え? ウホッ?

「あ→ーーーな↑↑↑ーーーた→ーー♪ だけーーがーーー♪」

 やおらガラ空きの喉元に腕がかかる、あ……

「すーべーてーーーーだとぉーーー」

 尹さんの目が驚愕に見開かれる。

「ちぃ→→→ーーーーーーーか↑↑↑↑↑↑ーーーーーーーーうぅぅぅぅぅ→→→ーーーーーー!!」

 大サビを高らかに歌い上げながら、おっきな彼氏の腕にブラ下がるちっちゃいカノジョみたいな体勢で、爺さんは尹さんに全体重を預けてブラ下がっている。ただし、首に。

「がっ! あ゛……」

 やべぇ、喉仏に完全にキマってる。いや、死ぬ死ぬ死ぬ!!

「呂大人! ヤメて! ヤメて!」

 一琳さんは、必死の形相で尹さんから爺さんをひっぺがす。

 ……はい? 呂大人?

 一琳さんによって、力任せに尹さんから引剥された爺さんは、勢い余っ……たかのような素振りでよろけながら、一琳さんの胸に顔を埋めた。

「うはっ♪ 一琳タソの乳間にラッキースケベダイブktkr!! ふぉぉぉぉぉ! ええ匂いなんじゃぁぁぁぁ!! ハァハァクンカスーハ……」
「この人が……呂大人……だと!?」

 中国人コミュニティの長になにやら間違った期待を抱いていたケイタは、動揺を禁じ得ないようだ。いや、オレもだから。なにこの似非ヲタスケベオヤジ。

「げほっ……呂大人……お久しぶりです」

 脳への酸素供給が再開された尹さんが、喉をさすりながら言う。

「よぅ、尹! 『お久しぶりです』じゃねーぞこのクソガキ! 連絡一つ寄越さねぇでこの野郎! どっかで野垂れ死んだかと心配したじゃねぇか」
「むしろ今しがたアンタに殺されかけましたが何か!!」
「おぅおぅ元気じゃねぇか♪ 若ぇのはそうじゃなくっちゃぁいけねぇ」

 なんなのこのひと?

 先程呂大人の顔面で思うさま乳間を蹂躙された一琳さんは、店の片隅に崩れ落ちてさめざめと泣いている。ヒトミと玲さんは、その傍らで一琳さんを慰めていた。

「呂大人……実は……」
「あー、皆まで言うな、尹。あの『お嬢さん』の事だろ?」

 と、玲さんを指差して言った。何この人エスパーなの?

サポート頂けましたら、泣いて喜んで、あなたの住まう方角へ、1日3回の礼拝を行います!