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公立高校の教員と仕事

学校の先生はどんな人?

 学校の先生は、生徒の「人格の形成」のため、生徒へ深い愛情と各教科の知識により採用になり、学校の教員集団を構成しています。人当たりが良く、対応も丁寧で、他の職員からも生徒・保護者からも信頼が厚いでしょう。そして、国や都道府県の教育委員会から出る指示にも基本的には従順です。

教育の仕事は業務範囲も確かに広いが、上限がない

 学校の仕事は上限がありません。生徒のためにと思えば、授業や部活や学校行事の準備にいくらでも時間をかけられます。逆に、手を抜こうと思えば抜けます。手を抜いたからといって、よほどのことが無い限り免職になったり、給料が下がったりということはありません。現状維持+αの改善で、波風を立たせなければ、定年までエスカレーターです。
 何かをやめたり新しいことをはじめるには時間とエネルギーとがいります。ただでさえ業務範囲が広く業務量が多いのに、あれこれ変えるのは大変です。長年、良いとされてきたことや、自分の教育スタイルをリニューアルする時間的な余裕がないのです。小言を言っているより、今まで通りでやってしまったほうが早いという感じでしょうか。よって、現状維持で例年通り、前例踏襲が教育の現場では続いている感じがします。

 新しい考え方や、働き方を試す時間の余裕がないのです。

 先生方の長年の努力により、いろいろな仕事は徐々に効率化、自分自身も、何年か働けば自分に与えられている仕事も効率化されています。しかし学校や個人の努力でできる効率化は、限界が近づいていると感じます。

 もっと根本的に仕組みが変わらないといけないと思いますが、どうしたら変わるのか難しい問題です。

授業を改善するのはなかなか難しい

 10年に一度、学校や授業の指針となる「学習指導要領」が改正されます。賛否はいろいろありますが、私はよく考えられたものだと、文部科学省の方々には頭が下がる思いです。今がちょうど変わっていっている時期です。しかし、現場ではなかなかうまくはいきません。昔ながらの授業スタイルを「チョーク&トーク」といったりするのですが(誰が言い出したかはわかりませんが、この表現はうまいとと思います)、結局のところ、昔からさほど変わっていっていないのが肌感覚です。
 10数年間、私自身も試行錯誤して授業をしていますが、それなりで、良かったと思える授業は一度もしたことがありません。

教員の労働条件を語る人は、熱心な先生ではない?!

「勤務時間外は、自分の趣味に没頭したいので、行事や会議はやめるか精選すべきだしたと思います。」「教員の部活には否定的な意見を持っています。」

 このような意見を持っている先生は、どうでしょうか?現状では熱心ではない先生に聞こえるかもしれません。言い方にもよると思いますが、教員採用試験の面接などで話したら難色を示されるかもしれません。しかし、このような感覚や意見は忘れてはいけないと思います。もちろん生徒への理解や愛情があって上でのことです。

教員のしごとは、生徒個人だけでなく、社会的に見ても大切

 内部事情はいろいろありますが、教員の仕事は将来を担う若者の人格形成に携わるとこができる大切な仕事だと思います。生徒が大人になれば、働き、経済活動をしていくのです。何を考え、どこで働き、何を買うのか、どのような生活スタイルなのか。今後の社会を作っていくのです。

 子どもの数が減り続ける中、生徒への愛情と教科の深い知識と、変革の意識をもった先生方が増え、現状でははなかなか大変ですが、教員を目指そうという方が増えることを願います。

#教育 #はたらくってなんだろう #教師のバトン

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